人ではないな」
「ウン」
「神様に誓うか」
「ウン」
「では、不浄をたち、拝殿にこもれ。潔白なら神様が犯人を探して下さる。犯人なら神様が息の根をとめて下さる。どっちにしても、それまで外へでられないぞ」
 山の下の鳥居をくぐってから、三丁も杉の林をうねって山上へ登らなければならない。光也はセンベイ布団をひッかついでそこを登った。光也が拝殿の中へはいると、父は扉をとじて大きな錠をかけて戻った。
 朝晩握り飯と水がとどき、その時だけ大小の用をたすことができた。駐在所の巡査が事件のことで会いにきて、錠のかかった扉をはさんで光也と用談をすませた。そして、
「これは世界で一番オッカナイ牢屋だ」
 と呟きながら、汗をふきふき山を降りて行った。
 拝殿へとじこもって一週間ぐらいすぎた日のことである。父は朝の握り飯と水をぶらさげて、拝殿の扉の錠をあけた。すると、扉の隙間に一通の手紙が差しこまれているのを発見した。女の筆蹟であった。
「O・Tは悪い女。虚栄と偽懣と無恥。全女性の敵として彼女は軽蔑される。私はあなたの潔白を信じ、彼女に怒りを覚える」
 筆者の署名はなかった。
 父はこの手紙の意味はだいたい理解できるように思った。O・Tというのは暴行をうけた娘であろう。
 筆者が女であるとすれば、夜陰に乗じてこれを届けたに相違ないが、それは丈夫《じょうふ》もなしがたいような大胆不敵な所業であるから、父は意外に感動した。
 彼は倅の足を蹴とばした。それぐらいにしてもなかなか目をさまさないタチなのだ。すると足の位置から光也が顔をだして、親も神様も呑みこむようなアクビをした。
「これを読め」
 父は急いで手紙をつきつけたが、光也が一応身を起してからも視力や理性が目を覚すまでには相当時を要したのである。
 光也はそれを読んだ。全然つまらないことだと思った。父は云った。
「これは、なんだ?」
「なんだろうか」
「わからないのか。お前の寝た間に誰かがここへ投げこんだのだ」
 光也はそれには答えずに、手紙を投げだして、言った。
「便所へ行ってくる」
 彼は拝殿の生活に不自由を感じていなかった。むしろなかなか良かったのである。浮世の雑音と距てられているので、あの不愉快な事件もケロリと忘れることができ、思う存分ハーモニカを吹くこともできた。時々拝殿にこもるのはむしろ好ましいことのように思われたが、誰かが食事を運んでくれるような親切は再び期待できないだろうと考えると、あじけない思いになるのであった。
「オレが結婚して、子供ができて、小学校へあがるころになれば、朝晩ここへ握り飯をとどけるぐらいの親切はしてくれるかも知れないな」
 と空想した。
 用をすまして戻ると、光也はいくらか手紙のことを考える気持になった。手紙は父の手中にあったので、彼はそれをとりあげて読み返した。要するにバカバカしい手紙であるが、気分的に悪くないものを感じた。
「これを書いたのは女だろうか」
「女だったら、どうする気だ」
「アンタは錠をたてて早く帰ってくれ」
「この罰当り」
 父は手紙をひッたくり、立腹して扉に錠をガチャガチャとおろした。
 それから数日後のことである。
 日が暮れてまもなく、光也がハーモニカを吹き終ると、
「光也さん」
 遠慮がちに呼ぶ声がきこえた。若い女の声であった。
「誰だ?」
 返事がなかった。光也は不承々々格子のところまで出かけていった。あの手紙の女だろうと考えた。しかし、若い女が夜間ここまでやってくるということはいかなる事情にしても過剰すぎる行為に考えられたので、彼は親しむ気持が起らなかったのである。
「アンタは誰だ」
 女はやはり返事をしなかった。格子の隙間から風が吹きこんでくるばかりで、その向うに誰かが存在しているような様子はなかった。ソラ耳だったかと彼は思った。その方が理にかなったことに思われた。
「そうだ。誰もくるはずがない」
 思わず彼が呟くと、ややすねた声がそれに答えた。
「ここに来ているわよ」
 思いだせない声だった。もっとも、彼には親しい女の友達もいない。わけが分らなくて沈黙していると、女が云った。
「ここへ手をだして」
「どこ?」
「ここ」
 女は格子をカチカチ叩いて場所を知らせた。
「手がでるもんか。指が一本通るだけだ」
「格子のところへ手をひらいて当てといて下さればいいのよ。いい?」
「いい」
「ハイ」
 格子の隙間から何かがポロリと手に落ちた。場所がややずれていたので、手に当って下へ落ちた。光也はそれを探して拾った。
「これ、何?」
「キャラメル。好き?」
「好きだ」
「じゃア、手をだして」
 女は指でキャラメルを押しこんだ。そこにちょうど光也の掌があった。すると女はその掌に指を当てたまま、しばらく引ッこめようとしなかった。
 氷のように冷い指であ
前へ 次へ
全7ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング