った。女の指と知らなければ、ゾッとして気を失うかも知れないような薄気味わるい冷めたさだった。
しかし、女がこんな冷い指をしているのは親切のせいだと思ったので、彼ははじめて女に親しみを覚えた。
女は無言で一ツずつキャラメルを押しこんだ。そのたびに、ちょッとの間、指を掌に押し当てた。
自然に光也は数を算えていた。キャラメルは十を越した。十一、十二。
「大箱だな」
感謝の気持で、彼は女に云った。女はそれに勢を得たのか、益々せッせと無言でキャラメルを押しこんだ。彼が二十かぞえたとき、女が溜息をもらしたので、彼は女に悪くなった。
「君は食べたくないのか」
「…………」
「すこし返そうか」
「なぜ」
「二十そっくりもらうのは悪いよ」
「かぞえていたの?」
「君が欲しければ半分返すぜ」
「いいわよ」
「オレがここに居ること、どうして分った」
「村の人はみんな知ってるわ」
にがい思いがこみあげた。浮世の事情を知ることは甚だよろしくないのであった。
「もう、帰れよ。女が夜こんなところを独り歩きするのは良くないことだ」
「帰るわよ」
女は力のない返事をした。しかし、モジモジしているようであった。
「明日もキャラメル持ってきてあげるわ」
「もういいよ」
「手紙よんだ?」
「よんだ」
「おやすみ」
懐中電燈の灯がよろけながらだんだん遠のいて見えなくなった。
しかし、翌る晩、女は現れなかった。彼は自分の態度がわるかったために、女を怒らせたに相違ないことを羞じた。
あの女は、親切だ。しかし、誰だろうかと考えた。
「オレが時々ここに閉じこもって暮していると、あの女が握り飯をはこんでくれる」
それは大いに可能性のありうることだった。闇夜の山道を独り歩きしてキャラメルを届けてくれたほどだから、自分に好意をいだいているのだろう。あの女と結婚してもいいような考えが、またそれに伴なういろいろの想像が彼をたのしませた。
女の指の冷めたさが何より身にしみて切実であった。その回想は彼に最も快い気分を与えた。それが女のマゴコロのようにシミジミ思われたからである。
★
五人の学生がつかまったので、彼は家に帰ることを許された。彼の気分からいっても、ちょうど出てもよいころであった。
そろそろ新学期も近づいたし、ランニングの猛練習もはじめなければならない。自然に節食したので適当に痩せたかも知れないから、今年こそ八百で念願の二分をきることができるかも知れない。この考えは彼の神殿暮しにいつも希望の光であった。
この県のNo1は小学校の教員であった。タイムは彼と同じである。彼はきまったように胸の厚さだけ負けるのだ。そして、そこまで迫まりながら、胸の厚さをどうしてもちぢめることができなかった。彼がキチガイじみたラストスパートの練習にうちこんでいるのは、その胸の厚さを抜くためだ。
彼はこのNo1に単に好敵手というだけではない敵愾心をいだいていた。それはこの男が人にこう語ったことを知ったからだ。
「彼はドスンドスンと地響をたてて追ってくるから、彼の位置が手にとるように分るのだ。また速力もちゃんと分る。だから要心して大きく離す必要はない。胸の厚さだけ前へでて軽くあしらっているのだ」
誰しも必要以上にホラを吹きたがるものであるから、ホラだけなら光也は腹も立てなかったのである。「ドスンドスンと地響をたてて」という甚だ好ましからぬ表現に彼は立腹したのである。
それは事実そうであった。それだから光也はやりきれない。自分の耳にもドスンドスンという地響がきこえるのだ。人々が自分を牛とよぶのはモットモだと考える。自分の走る地響が、自分の耳にも牛のようにきこえるのだった。
No1は跫音《あしおと》もたてないような痩せた優男であった。女学生に人気があった。そのために、女学生は負けた彼をからかった。
「足跡をならしておきなよ」
そんなひどいことを云う女学生があった。決勝点の附近の柵に腰かけて、足を宙にブラブラふり柿やパンをかじりながらワイワイ云ってる女学生どもであった。
「ズシンズシンと負けちゃッたわね」
と云って彼の方にわざと拍手を送る奴もあった。
ズシンズシンという地響はどうにもならないから、どうしても勝ってみせなければならない。しかし、同じ勝つにしても、ギリギリの本音を云えば、人間なみの地響をたてて勝ちたかった。神殿生活のやむをえぬ節食によって、彼は痩せることにも希望をいだいていた。
彼は家へ帰りつくと、母にきいた。
「すっかり、やせたよ」
「バカ云え。一まわり、ふとったわ」
「ウソだろう」
「何がウソだ」
母の剣幕が真剣らしいので彼はおどろいたが、その言葉を信用はできなかった。毎日ひもじい思いをして、ふとる筈はない。ところがハカリにかかっ
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