気のようなものであるが、見られた者だけが噂にのぼるから、見られるとバカをみる。だからアベックで出かけるようなことはなく、別の汽車で出て、別々に帰るというやり方である。
せつ子もその手を用いて大過なくやってきたが、今度だけは勝手がちがう。
宇賀神《うがじん》芳則は右翼団体の顧問格の策士で、陰謀にかけては天才的な男であるが、一面、大変な露出狂で、どんな秘密も洗いざらいペラペラ喋りまくっているように見える。
実際は、喋りまくっているのは、どうでもいいようなことで、大事の陰謀は決して喋っていないのである。小事について露出狂的であるところが、大事な秘密をさとられない秘訣であるのかも知れない。
宇賀神のところへは各党の政治家が出入りしてゴキゲンをとりむすび、金をもらっている。彼の手からバラまかれる金は、門外漢には想像もつかないほどの巨額であるが、どんな方法で、どれくらいの収入があるのだか、誰も見当がつかないのである。いろんな臆測はとんでいるが、正体をつかんだものはいない。
せつ子は宇賀神の寵を得て、これが二度目のアイビキだから、時日も浅いが、その収入の内幕については、てんで見当がつかなかった。しかし変に気を回すと、彼の鋭い直感にふれて、せっかくの寵を失うから、その方面には風馬牛にもしているのである。
ところが、情事のこととなると、全然露出狂である。人前でも戯れかねない有様であるから、別々にアイビキの地へ赴くような配慮などは念頭においたこともない。
せつ子もこれには困ったが、この金の蔓は放せない。是が非でもと今生の決意をかためて乗りだした仕事だから、今までの名が醜聞によって汚されるのを怖れてはいられなかった。
それでも一応の配慮はこらして、長崎始発の東京行急行を選んだ。
湘南電車というのができて、新装置の二等車がつき、同時に二等運賃も安くなったから、文士はみんなこれにのる。編集者も過労を怖れてこの二等を利用するものが少くないから、二等車も安心はできない。
しかし長崎始発の急行といえば、東海道の急行の中ではローカルに属するもので、温泉帰りの利用すべき性質のものではなかろう。こう考えて選んだのである。
せっかくの胸算用は大当外れ、大失敗に終ってしまった。
小田原で二等車にのりこむ。ヨウ、と立ち上った男が酔顔を真ッ赤にそめて近づいて、
「おせッちゃん。箱根に雲隠れの巻か。ヤ、これは失礼」
ペコンと宇賀神に挨拶して、ひッこんだ。せつ子の雑誌の編集次長の河内であった。宇賀神のもとへ一しょに訪問記事をとりにでかけた男で、ソモソモのナレソメを一挙に見ぬく唯一の人物だから始末がわるい。悪い車に乗りあわしたと後姿を目で追うと、ヤ、居る、居る。
女流作家の呉竹しのぶ。このお喋りにかかっては、一夜のうちにジャーナリズムへ筒抜けとなろう。も一人は放二の雑誌の編集長の穂積であった。悪いのばかりが乗り合わせていた。
二
「え? そうか。あんときの、あんたの同僚かア。覚えてる」
宇賀神は河内を思い出して、膝をうって、
「退屈しのぎに、いいなあ。よんでこいよ」
「ダメ。ジャーナリストはうるさいから。すぐ評判がたってしまうわ」
「オ。やってる。オバアチャンも飲んでるわ。オ。キュッと一息にやりおったなア。ワア、酔っ払ってる。面白れえな。あのオバアチャンは、どなたかいな」
「呉竹しのぶ」
「ワア、面白れえ。よんでこいよ。あッちへ行こうか」
「いけません。私は面白くないんです。文士だのジャーナリストって、酔っ払うとダラシがなくッて、礼義知らずなのよ」
「オレとおんなじだなア」
「ダメですよ。こちら側へお座んなさいね。ききわけがなくッちゃ、いけないのよ。私のお酌で、お酒めしあがれ」
箱根まで迎えにきたカバン持ちが気をきかせて、ウイスキーをとりだす。
宇賀神は素直に座席をかえて、キゲンよくウイスキーをなめている。気まぐれな思いつきを言いたてるが、実際は言いたてるのが面白いだけで、やる気はない。神経は鋭利で、見かけと反対に、こまかく気のまわる男だから、無意味なツキアイは神経が疲れるばかりで、退屈しのぎにはならないのである。
宇賀神はウイスキーはちょッとでやめて、すぐ居眠りをはじめた。
午後四時に東京駅へつく。宇賀神は迎えの車でいずれへか立ち去り、せつ子も車をひろって、銀座の社へ六日ぶりに戻った。
せつ子が箱根へ行ったのと前後して、大庭長平が上京している。長平の出版は某社に独占されているが、せつ子は新しく自分がやるはずの出版社で、この出版権をそッくり握ってしまいたいのである。
速達で云ってあるから、せつ子の社で放二が待っているはずだ。先に河内が帰っているから、社内にはすでに噂がとんでるだろうが、せつ子はハラをきめたから、平静を失わなかった。
何も怖れることはない。むしろ晴れがましいガイセンだった。銀座がせつ子を迎えている。
せつ子のカバンの中には、現金と小切手とで五百万円はいっているのだ。数日中に、もう五百万円もらえることになっていた。思いがけない大成功であった。にわかに全てがトントン拍子に、思いのまま自由自在に延びて行くような気持がする。
せつ子が編集室へ戻ると、もう、室内には殆ど居残った人影がない。酔っ払って寄り道してるのか、河内の姿も見えなかった。
見廻したが、放二の姿が見当らない。フシギだ。彼女の命令を忘れることはないはずなのだ。
自分のデスクの前へくると、ゴチャ/\つみあげた本の陰から、明るい笑顔の娘がスッと立って、
「梶さんでいらッしゃいますか」
「ええ。そう。あなたは?」
「私、北川放二さんの代りに、お待ちしていました。大庭記代子でございます」
「ア。あなたなの。大庭先生の姪御さんは」
「ええ。この御手紙に用件が書いてあるそうです。御返事をいたゞいてくるように仰有ってましたの」
と、手紙を渡した。
三
放二からの手紙は、青木のことであった。せつ子が来るものと思って、朝からズッと放二の社に詰めきっていることが書かれていた。
せつ子は忘れていた男のことを思いだして、ちょッと不快を覚えたが、気にかけるほどのことではない。
せつ子はこれまでに青木から八十万円ほど出させている。自分で二百万都合するから、青木には三百万都合して、と頼んだ。五百万耳がそろわなくとも仕事に着手できるが、八十万じゃ、着手どころか、事務室もかりられない。
宇賀神の方がトントン拍子にいってるから、青木はもう用のない存在であった。ただ苛立たしいのは、忘れた男、用のない男が、なんの因果か、放二と仲よくしていることだ。
せつ子は手紙をよみおえて、
「青木さんには私が帰京したことナイショにしてほしいわ。二三日帰京がおくれるッて電話があったことにして」
「小ッちゃな雑誌社でしょう。応接室も社長室もないんですの。編集も業務も小ッちゃな一室にゴチャまぜ。青木さんの目の前に電話があるんですから、こんな電話がありましたッて、ちょッと云いかねると思います」
なかなか、こまかく気がつくな、と、記代子を見るせつ子の目に微笑がこもった。
いかにも当りまえなお嬢さんタイプの娘である。難もないが、目を惹く特長もない。社会見学に働いてみるのも悪くはないが、当りまえの奥さんに落ちつく以外に手のなさそうな娘である。
さッきから、せつ子の頭にひらめいているのは、記代子を放二のお嫁さんに、ということだった。悪くない方法だ。
出版事業をやることになれば、放二にはイの一番に手伝ってもらう必要があるが、すると、宇賀神のことも当然放二に知れてしまう。知られて困ることもないのだが、放二に家庭のある方が無難には相違ない。
「じゃア、あなたが社へ戻って十分ぐらいすぎたころ、誰かに電話かけさせましょうね。旅先から知らせがきて、放二さんに伝言があったから、と、そう云ってもらったら、よろしいでしょう」
「ええ。じゃア、五時か、五時ちょッとすぎたころ」
「ええ。それでね、青木さんをまいちゃッて、あなたと放二さんとお二人で、マルセイユへきてちょうだい。スペシャルのフランス料理ごちそうするわ」
せつ子は一目で、記代子が自分に好感をいだいたことを見ぬいていた。万事都合よくいっているのだ。
「今日は私の記念日なのよ。とても嬉しいことがあったのよ。たぶん、私の生涯の記念日になると思うわ。第一回の記念日に、あなた方と祝杯をあげるのは、因縁ね。きっと、重大な意味があるのよ。お食事のとき、記念日のわけ、話しましょうね。飛びきりのフランス料理たべながら」
「まあ、素敵ね」
「青木さんは、うまくまいてちょうだいね。そんなこと、できそう?」
「ええ、カンタンよ。私たちアベックで散歩したいんですからと云ったら、その場で退散しちゃうでしょう」
記代子はクスクス笑って、あからんだ。
せつ子は記代子を送りだして、あれでも女は女なんだと、バカバカしい気持になるのであった。
四
記代子はかなり巧みに芝居を演じた。小娘としては出来すぎたほど過不足なくやったつもりであったが、青木の鋭いカンをごまかすことは不可能であった。
青木は記代子の想定どおり、アベック戦法に撃退されて二人に別れを告げたが、ただちに尾行をはじめた。
青木のカンは鋭かったが、しかしカン違いもやっていた。せつ子の帰京がおくれたことは真にうけたのである。
「この娘は長平さんの姪だというからな」
と、彼は内心せせら笑った。
「オレをまいて、長平さんと会いに行こうという寸法か。笑わせちゃアいけないよ。オレの目の黒いうちは、どんなに落ちぶれても、お前さん方若い者に」
二人がマルセイユへはいったのを見とどけると、青木は三十分、店の傍に見張っていた。大庭長平が先にきているはずはない。おくれて来ると見てとって、待ちかまえていたのである。これが失敗のもと。二人のあとからすぐはいれば、せつ子の姿を認めることができたかも知れなかった。
三十分待ってもこないので、扉を排して、はいる。敬々《うやうや》しく近づくボーイに目もくれず、まずサロンをゆっくり見廻したが、二人の姿も、長平の姿も見えない。スペシャル・ルームにひッこんでいるのだ。
「小説家の大庭長平さんのお部屋へ案内していただきたい」
「大庭さんとおッしゃる方ですか」
「そう。五十がらみのデップリした西郷さんのような大男だよ」
「ちょッと分りかねますが」
「三人づれだよ。はじめ西郷さんが待ってるところへ、美青年と美少女がアベックで訪ねてきたはずさ。しらべてみたまえ」
ボーイは他の数人の同僚たちに訊いてまわったのち、
「大庭さんとおッしゃるお客様は本日はお見えになっておりません」
インギン丁重である。さてはボーイにいたるまで堅く口どめに及んでいるのかと、青木は察しがよすぎて、
「ヤ。失敬。デップリした洋服の西郷さんに、よろしく」
と、ひきさがった。こう警戒厳重では、単身では手が廻らない。明日はカバン持ちの戸田を助手に使って、放二の社に張りこませてやろう。放二のアパートも分っているのだし、今、あせることはない。
青木は自分の宿屋へ戻ってきた。戸田は彼の指令をうけて別方面の金策にとび廻ったはずだが、その戦果はどうだろうかと、部屋へはいると、待っていたのは、戸田ではなくて、礼子であった。
「やア。あなたか。戸田君は?」
礼子は答えずに、チラと目を部屋の隅の机の方へやった。青木がそこを目で追うと、彼のカバンにいれておく書類が、机の上につみあげてある。戸田がそれを掻きまわす必要はなかったはずだが、と、近よって見ると、鉛筆で走り書の紙片がのっかっていた。
青木はそれを執りあげた。
「しばらく月給もいただきませんので、代りにいただいて行きます」
しらべて見ると、カバンと、身の廻りのものがなくなっていた。いまや、着のみ着のままだ。急場をしのぐものと云えば、腕にまいたロンジンぐらいのものであった。
五
青木は泣き顔をかみほぐすのに長い手間はかか
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