、一分一秒ごとにイヤになるという言葉にこもる実感が、軽い気持できいていられなくさせたのである。自然にエンゼルと睨み合っていた。エンゼルの目は、相変らず、無感動であった。
「女の心理というものが妙なものだと思ったのは、これからのことなんです。これだけ嫌われれば、当人に分らない筈はありませんな。知らないフリをしていても、チクリ、チクリ、一分ごとに針をさしこまれているようなもの、当人の胸には誰より鋭く響きわたっているに極っていまさア。ところが、この厳然たる事実を、信じまいとするんですな。イヤ。有りうべからざる事である、と断定すら、するのです」

       三

「嫌われれば、嫌われるほど、ぼくに惚れようとするのです。いえ、本当に惚れてくるのです。まるで、それが嫌われたことの、対策だと思いこんでいるように、ですなア」
 本当にイマイマしいという表情がエンゼルの顔にあらわれた。しかし彼は自然の感情をむきだしにしているのではなかったのである。そういう顔をしてみせたのだ。
 エンゼルは瞬きもせず悪いことのできる男であった。彼は悪事をたのしんでいた。大庭長平という、ちょッと世間に名の知れた男が、彼の仕事や力量に、どんな風に乗ぜられ、どんな風に負け、どんな顔や恰好をするだろうか、ということが、興味津々たるものがある。それを見つめることは、放火狂が火をみつめるように、色好みの男が女体をみつめるように、全身的な快楽を感じる。彼は話術の緩急を考え、猫が鼠をじらすように、たのしむのが好きであった。
 何か長平の一言があるかと思っていたが、何もないので、彼は言葉をつゞけた。
「悪女の深情という言葉がありますが、なるほど、嫌われれば嫌われるほど、もたれてくる。ベタ惚れ、ベタベタ、見栄も外聞もなくなるのですな。高さ、品格がありません。顔はお岩ではないかも知れませんが、その人格からうける全的な感じはお岩、妖怪じみたものです。ぼくも、ついに音をあげたのですよ。これは、とても、たまらん。寸刻も、同居に堪えない。……」
 エンゼルは火をふくような目をした。大いなる怒りが、こもりにこもって、どッと火をふいたようである。当面のものを全的に拒否している冷めたさが、みなぎった。
 すでに歴然たる悪党のエンゼルだった。悪党が悪党らしくないうちは興味津々であったが、悪党になってしまえば、面白おかしくもない。エンゼルの女を嫌う実感に一時は長平もハッとしたが、相手が悪党になりきってしまうと、その実感への感興もうすれた。長平自身が、ひどく興ざめた思いになった。一分は一分ごとに、一秒は一秒ごとに、一枚ずつ紙をはがすように、興ざめた気持になる。エンゼルの熱演は、悪女の深情と同じことだ。もう目を見なくても分りきっている。
 長平は面白くもなさそうにソッポをむいてしまった。
 エンゼルは自分の凄みが相手にうち勝ったのだという風に考えた。
「ぼくは記代子を簡単に追んだすツモリでしたが、簡単に追んだしたのでは、彼女は死にますな。ただ、ベタベタでは、どうにも仕方がありません。ぼくの女の一人の列にありさえすれば、それで満足。こうあきらめてもいるのです。お岩にくらべれば長足の進歩、妾ぐるいぐらいは結構、死んでも化けて出やしませんな。それだけの甲斐性がないんです。化けて出るだけのね」
 軽蔑しきった口調、たすからないほど冷めたい。演技は高潮に達している。次に大詰の一撃があるだけであった。
「ぼくは記代子を叩き売ろうと思います。因果を含めて叩きうれば、承知するにきまっています。同じ因果を含めるのでも、親元へ返すぶんには、死あるのみ。ね。叩きうる一手です。寸刻も同居をつゞけていられないのですから、ほかのことをモタモタ考えていられません。とにかく、ぼくは叩き売りますから、売ったあとで、あなたが買うなり、どうするなり、あわててやると死にますから、死なない程度に、後々の始末をおまかせしようと思いましてね」

       四

 そんなことかと長平は思った。
 ずいぶん手数をかける男だ。長平の趣味から言えば、端的に河内山式の方がよい。この男は、京の家ぼめから始まり、いろいろと演技の数をつくしているが、まだ本当の結論へは来ていないのである。花をつくるだけミソで、近代的にして、かつ退化していると判断すべきようであった。
 長平はどこかの殿様家とちがって、話の正確な結論をたしかめないうちに、あわてて百両包みを河内山の袖の下へ突っこむようなことはできない。
「君の話は、長すぎる」
 長平はエンゼルに教えてやった。
「京の隠居家ぼめが挨拶のツモリならよろしいが、前奏曲のツモリなら、ムダのムダ。それからの話の運び方も遠まわしで、もっと率直でないと近代人の感覚に合わないものだ。こっちはそうとは知らずにきいているから、君の結論をきくと、オヤオヤ、あれはみんなここへくるための道中か、ムダな道を曲りくねるものだと思って、いっぺんに興がさめてしもう。一秒ごとに興がさめるよ。顔を見るのも、話をきくのも、興ざめだ。寸刻といえども、同居に堪えないという気持になる」
 長平はタバコに火をつけた。
「君も一本、吸いたまえ」
 と、すすめると、エンゼルは憤然として、長平の手からタバコの箱をひッたくッて、テーブルへ叩きつけて、
「ヤイ。寸刻といえども同居に堪えがたいと言いながら、オレにタバコをすすめるとは、いい加減なことを言いやがるな。はばかりながら、若い者には、そんなふざけたことは通用しねえや。寸刻も同居に堪えなかったら、堪えないように、ハッキリしやがれ」
「それなら話はわかる。なんでも、そういうグアイに端的に言うものだ。しかし、ハッキリしないのはお前さんの方だろう。オレはさッきから待っているが、お前さんの本当の結論はまだのようだ。その結論をきくまでにはヒマがかかると思ったから一服すすめたが、お前さんの結論が、さっきの言葉ですんでいるのなら、オレは返事の必要がないから、さッさと帰るがよい」
 エンゼルはひらき直った。
「それじゃア、記代子を売ってもよいな」
「バカめ。また同じことをモタモタ言っているのか。それが結論だったら、返事の必要がないから、さッさと帰れと言っているではないか」
 エンゼルは帽子をつかむと、サッと立って、悠々と帰って行った。
 帰り際だけは、どうやら一人前だと長平は思った。良いところは、それだけだった。
 花づくりの屋敷もちの若い顔役も、想像倒れで、新味もないし、人間的な偉さもない。昔ながらのヨタモノにすぎない。
 ヨタモノにエンゼルだけの美貌があれば、若い娘も年増もひっかかる筈である。浜の真砂と同じように、そういうものも種のつきることはない。あいにく陳腐な砂の一粒に自分の姪がまじってしまったが、彼にとっては、たゞつまらない出来事だと思われるだけのことであった。
 エンゼルが記代子を売りとばすことだけは確実だろう。どういう手段で、どこで金に換えるかは見当がつかないが、ほッたらかしておくわけにもいかない。彼には面倒なことだけが残念千万であった。考えると、たゞ、オックウで仕様がない。

       五

 記代子はどうしてそんなことになったか分らなかった。
「お前の部屋は、今日から下だ」エンゼルがこう言うと、こッちだよと言って、子分の一人がひッたてるように階下へつれて行った。階段の下に当る、小さな格子窓が一つしかない留置場のような三畳であった。下は板敷で、納戸であるが、使いようによっては、座敷牢である。
「ここへ、なによ?」
「はいってるんだ」
「なによ。こんなとこ」
 子分の身体を押しきって出ようとすると、
「バカ。勝手に出るな」
 中へ突きとばされた。子分は身の回りのものだけ持ってきて、中へ投げこんでくれたが、
「勝手に出るわけにはいかないのだから、用があったら、声をかけろよ」
 板戸に心ばり棒を下して立ち去った。
 エンゼルが急に冷淡になったのは、ここ四、五日のことである。そして旅行から帰ってくると、記代子に一言の言葉もかけずに、いきなり、閉じこめてしまったのである。
 記代子はわけが分らなかった。子分がカン違いして、部屋をまちがえたのだろう。エンゼルは、自分がこんな部屋へ入れられて、心ばり棒で閉じこめられていることを知らないに相違ない。知っていて黙っている筈はあり得ない。
 記代子は戸をたたいた。
「エンジェル! エンジェル!」
 力いっばいの声をはりあげて、叫んだ。その声は、塀の外までは届かなくとも、この家中には鳴り響いた筈である。心ばり棒を外して現れたのは、エンゼルではなくて、子分であった。いきなり一つ、ぶんなぐって、
「バカヤロー、兄貴はヒルネができなくって、怒っているぞ。ぶんなぐられないようにしろ。兄貴に愛想づかしをされたんだから」
 睨みつけて、戸をしめてしまった。昼めしには、お握りを二つくれただけであった。
 格子窓の向うに、便所の手洗いの窓が見えた。ときどき、子分がその窓から、こッちをのぞいた。それを見ると、寒気がするほど不快で、思わず顔を隠したが、エンゼルもきっとそこへ姿を見せるに相違ないと思うと、窓際から動くことができなかった。
 果して夕方にエンゼルの顔が見えた。彼はヒルネから目をさましたところらしく、いつも寝起きにそうであるように、はれぼッたい顔をしていた。坊やが目をさましたばかりのような、記代子には、忘れることのできないなつかしい顔であった。
 記代子は思わず、とび起きて、格子にしがみついていた。
「エンジェル! 私よ。こんなところへ、なぜ入れるの! きこえないの! エンジェル! エンジェル!」
 エンゼルは記代子の方を見向きもしなかった。
 記代子には信じられないことであった。
「エンジェル! エンジェル!」
 たった二、三間の距離である。たった一声で、ノドがつぶれてしまいそうな、この叫びがきこえない筈はない。しかしエンゼルはふりむいて、姿は見えなくなってしまった。
 エンゼルは、わざと聞えないフリをしてみせたが、身仕度して、きっと迎えにきてくれると思った。十分間も窓からのぞいていたが、次に窓から見たのは子分の顔であった。彼は記代子を睨みつけた。
 記代子は気を失ったように、ふらふらと崩れこんでしまった。

       六

 外から心ばり棒を外す音に、記代子はハッとして飛び起きた。やっぱりエンゼルが迎えにきたと思ったのである。
 しかし、姿を現わしたのは、二人の子分であった。一人は彼女の前へお握りを入れた皿と一杯の水を置いて、
「バカ。ウチが割れるような大声をだしやがる。二度とあんな声をだしやがると、腰の抜けるほど、なぐりづけるから、そう思え」
 一人は窓をしめて、
「まったく、頭の悪い女さ」
 そうつぶやいて、又、心ばり棒をかけて立ち去った。
 日がくれると、多くの跫音がドヤドヤと入りみだれて玄関へあつまるようである。
「兄貴、行ってらッしゃい。行ってらッしゃいまし」
 と口々にのべる言葉がきこえるので、エンゼルのでかけるのが分った。
 記代子は、すべてを諦めかけていたが、その気配をきくと、突然とび起きて、夢中で戸を叩いていた。
「エンジェル! エンジェル! 記代子は、ここよ! エンジェル!」
 叩く手をとめて、耳をすましてみると、エンゼルはもう立ち去ったらしい。部屋へ戻るらしい子分の跫音が消えてしまうと、あとは物音がなくなってしまった。
 疲れきってウトウトしかけると、数名の男たちがフトンをかかえて現れた。彼らがフトンをしき終ると、一人が記代子をだきすくめた。
「兄貴は一週間ほど御旅行だ。可愛いい女が待ちこがれているからな。三四人は廻ってやらなきゃならないから、兄貴も忙しいやな。お前はオレたちにお下げ渡しだから、当分みんなで可愛がってやるぜ」
 記代子はわけがのみこめなかったのでボンヤリしていた。すると男の手が彼女の衣服をぬがせようとしているのに気がついて、おどろいて、もがいた。すると、数名の男たちにおさえつけられて、もはやどうすることもできなかった。
 夜更けに、
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