であった。ピシャリと閉じる。二人のアンチャンが戸に躍りかかって、桟を下し、鍵をかけてしまった。
 四人どころじゃない。一目では算えきれないぐらい、ざッと十人ちかいアンチャンが勢ぞろいしている。四匹の猛犬を檻からだして、めいめい一匹ずつの綱をとって、スワといえば犬を放そうと身構えているアンチャンもいる。
 アンチャンの重鎮らしいのが進みでゝ、大そうニコニコと歓迎の意を表して、握手をもとめ、口上をのべているうちに、誰かが、腰、ズボン、胸のポケットを点検したようである。
 放二は応接間へ通された。窓から見ると、四匹の犬が綱から放されて、庭を行ったり来たりしている。アンチャン連も四人ばかり、要所々々に張りこんでいるが、樹木が一本もないから、折からの日でりで、大そう暑さにヘキエキしている様子であった。
 放二はエンゼルとルミ子の昨夜の真相を知らなかった。しかし、もてなかったのだろうという想像はつく。
 酔っ払いは前後忘却して、ところどころ明滅的な記憶しかなかったりするから、それを想像できなかったりして、益々誤解しているのかも知れないと放二は思った。
 エンゼルはニコニコと現れたが、顔色がすぐれなかった。
「どこをのたくって呑んで歩いたか、気がついたら屋台の土間にねていましたよ。白々と夜の明けるころにね。土間にねてごらんなさい。目をさますと、カゼをひいてますぜ。体温がなくなってるね。骨のシンまで冷えきってまさア」
 目が濁っていた。当人もそれが分るらしく、汚い目を見せないためか、しきりにパチパチやっている。

       十一

「昨夜は失礼いたしました」
 と、放二が言った。どっちの挨拶だか、わからない。さてはインネンをつけなさるか、と、エンゼルは返事をせずに、内々せゝら笑って待ちかまえていると、
「自分で酒をのまないものですから、酒席の気分がわからないのです。アパートの女たちも、言い合したように酒をのまないものですから、変なところへ御案内して、至らなかったと思っています」
 彼はこれから何を言うつもりなのか、エンゼルにはまったく見当がつかない。しかし、どうも、普通じゃない。エンゼルはソッポをむくのをやめて、放二の顔を観察することにした。
「ぼくは野中さんには、ぼくのすべてを知っていただきたかったのです。ありのままの生活を見ていただきたかったのです。なぜかと申しますと、ぼくが野中さんに対して偽る気持をもたないこと、野中さん御夫妻へのぼくの偽りない友情を信頼していただきたかったからです。かりに、ぼくの周囲の方々が、お二方のお気にさわる態度を示す場合にも、ぼくの友情は信じていただきたいと思ったからです」
 エンゼルは苦笑した。この男を買いかぶっていたようだ。酔っ払ってもいたし、パンパンアパートの雰囲気が一風変って異様でもあるから、買いかぶってしまったが、この男の底が知れてみると、あの雰囲気も別に異様ではないようだ。つまり一番グズな人間どもが、グズ同志よりあつまって、センチなママゴトみたいなことをしているのだろう。記代子はバカそのものであるが、この男はそれに輪をかけたウスノロかも知れない。
 エンゼルは大庭長平について、計算ちがいをしていた。記代子はニンシンしているし、知名人の姪であり、愚連隊と結婚させるはずはない。取り戻しにきて、なんとか挨拶があるだろうと期しているから、なんの取柄もないバカ娘をおだてあげて、本宅に鎮座させ、女房然とつけあがらせておくのである。
 放二の伝えるところによると、大庭長平は全然平静で、好いた同志なら何者と一しょになってもかまわないという考えだそうだ。そして、一安心して、京都へ帰ってしまったという。
 エンゼルは事の意外に驚いたばかりでなく、大庭という奴が海千山千の強《したた》か者で、記代子のバカさかげんに手を焼いており、これを拾いあげたエンゼルをいいカモだと笑っているのじゃないかとヒガンだほどであった。
 エンゼルは、にわかにバカらしくなっていた。奥様然とのさばっている記代子のバカ面を見るのも胸クソがわるい。
 戦法を変えて、芝居気なしに、露骨な取引をすべきじゃないかと考えはじめたから、放二に対しても、演技者の気持を多分に失っている。さもなければ、酔いすぎても昨夜のようなことはやらない。
 放二という男は、見る通りこれだけの、掛け値なしのグズのウスノロと見極めをつけたから、即坐に新体勢をととのえた。
「実はですね。諸事金づまりの世の中。仕事を手びろくやりすぎたものですから、費用はかさむばかりですが、回収する金が十分の一もありません。流行のコゲツキという奴、どこも同じ風ですなア。花屋だけでは、損するばかり、食って行かれませんから、記代子にも働いてもらわなければならないのです。まさか女給にだすわけにもいきませんが」
 エンゼルは気をもたせて、しかし、恐縮したように笑ってみせた。

       十二

 エンゼルは放二をなめてしまった。もはや、こんな小物は相手ではない。記代子というバカ娘が格下げだから、それと対等にも当らないウスノロは問題ではなかった。仮面の必要がなくなったのだ。彼がケツをまくってみせる相手は、大庭長平と、せつ子という女社長である。
 彼はシャア/\と放二の顔をうちながめて、
「どうです。あなたも、一口、やりませんか。ちょッとした商売ですよ。あのルミ子さんを女主人公にしてね。あの子は若くて、可愛いらしいですな。万人むきで、特に大学生むきだなア。記代子がちょッとそうですが、これがこの商売のコツですなア」
 エンゼルは宿酔《ふつかよい》で頭が重くて、やりきれない。宿酔というものは、宿酔の相手をめぐって不快に思いがこもっているものだが、それはエンゼルでも同じことで、その相手が目の前にいると思えば、不快で邪魔っけなウスノロだが、いくらか気がまぎれないこともなかった。やむをえず、ムダ口をきいているだけのことだ。
「その商売というのが、秘中の秘ですが、先に取払いになったマーケットね。あれを今回オカミの手で、まア、何々公団というようなところでやるんですかなア。明るく、健全な、見た目にもスマートなマーケットに再建しようというんでさあア。この店舗の契約なんですがね。これを然るべき手を通して、発表前にちゃんと予約できるんですな。本当の契約金は十万ですが、然るべき筋へ五万いる。あの新宿の一等地がそれだけでよろしいのです。ぼくは、ここである明朗な商売を記代子にやらせたいと思っていますが、さし当って、困っているのは現金なんですよ。ぼくには現金がないのです。その日その日の運転資金が精いっぱい、生活費にも事欠いてロクな物も食わせないのに、野郎どもも記代子も平気で我慢してくれますよ。時世だから、仕様がない。ね、これですよ。でも、あなた、みすみす、もうけ口があるのに、私もムリな苦面を重ねてもやってみたい。記代子もやりたがっているのです。五万ぐらいは、ぼくもなんとかできそうですが、あなた、十万、かしてくれませんか。記代子のためたです。記代子の商売なんです。あなたを記代子の親友とみこんで、おねがいするのですよ」
 放二は思いまどった。
 エンゼルの話は、なんとなく軽薄である。だまされるにしても、彼が真剣にだますつもりなら、彼に誠意のとどくまで、甘んじてだまされることに不服はなかった。誠意がついに届かなくとも仕方がないと諦めるのはワケがないが、彼は一生だまされてみたいような気もしていた。一生をかけてだまされたら、なんとかなりはしないかというミレンがあった。
 しかし、エンゼルの話はどことなく軽薄であるし、あいにくなことには、なんの苦労もなくエンゼルの申出に応じうる資格があったのである。
 放二は今度の慰労金に、旅行して疲れをやすめてこいと、せつ子から十万円もらっていた。その一部に手はつけたが、補充して十万円にするのにそう苦労はない。
 あんまり簡単に応じうることを言われたので、放二は迷った。しかし、迷うのは、結局金がおしいからだと考えると、心はきまった。
「多少のお金でしたら、ぼくの出来る限りのことは、なんとかしたいと思います。ですが、あなたは信じてくださるでしょうか。ぼくが本心からあなた方のお友だちだということを」

       十三

「それは信じていますとも。記代子も、ぼくも、あなたが二人に共通の唯一の友だちだということを忘れたことはありません」
 エンゼルはこう応じたが、ウスノロの態度が真剣なので、このウスノロは本当にいくらか出すつもりじゃないのかと気がついて、おどろいた。どこまでウスノロだか分らない。先方がそのツモリだとすると、こッちも、もらって損はないから、
「イヤ。こう申上げても、あなたは本当にして下さらないでしょうね。ぼくが悪るかったのです。昨夜、酔っぱらって、とりみだして、あまりと言えば、あまりの醜体です。昔の悪い習慣、三ツ子の魂です。酔っ払うと、昔の悪い男が顔をだすのです。昨夜の醜体はよく記憶していませんが、そのあさましさは、だいたい見当はついています。ぼくはジキル博士一本になりたいのですが、汚れた血は、生涯ついに、ダメですかなア」
「いいえ。ぼくがミレンがましく、友情を信じてくれますかなどゝ、疑ぐりぶかい心をさらけだしたのが、あさましいのです。醜体はぼくなんです。先日から、信頼していただくことばかり考えていたものですから、不覚なグチを申上げてしまったのです。ぼくの存在がお二方のお役に立てば、それだけで満足なんです」
 実にグチなことを言ったものだと、放二はすこし呆れていた。だまされることなんて、なんでもないことではないか。だまされまいとすることは、あるいは最も邪悪の念の一つであるかも知れない。
 エンゼルを疑ぐる必要はないのである。自分の一生を通じて、記代子とエンゼルのためにマゴコロをつくせば足るのであると放二は思った。
「記代子さんはどうしていらッしゃいますか。一目御挨拶いたしたいのですが」
「そうですね。ちょッとカゼをひいてねていますが、様子をきいて参りましょう」
 ウスノロがすすんでカモになりたがっている様子だから、二度と記代子に会わせないつもりであったが、ワガママを言っているわけにいかない。にわかに記代子にムネをふくめて、今度彼女の店をだすについて十万円かしてくれと頼んであるから、お前からもよろしく頼むがよい、と、つれてきた。
 しかし記代子は放二にたのむ気持はないから、ツッケンドンに、放二を見下して、
「私、あなたから、お金かりようなんて思わないのよ。どうせ梶さんのお金ひきだしてくるのでしょう。汚らわしいわ。ですが、エンゼルに貸すんでしたら、貸してあげなさい。きッとよ。貸しますね」
 放二は赧《あか》らんでうなずいた。
「ぼくは、ただ、お役に立ってうれしいと思っているだけです」
「誰のお役にですか。エンゼルのよ。私はあなたにお役になんか立っていただきたいと思わないのよ」
「おッしゃる通りです。ぼくの言葉が、ぼくの耳にも、まるでお役に立つことを押しつけているようにきこえます。そんな気持ではないつもりなのですが、ぼくの本心が結局それぐらいでしかないのだろうと思います」
 記代子の目はいつも彼の欠点を鋭く見ぬいていると放二は思った。それは記代子が正しい生活をし、心が正しい位置におかれているからだ。
 肉親に、友に、見すてられた記代子は、その心が正しい位置におかれているからであろう。人に愛されようとする自らの心は、ゆがんでいる。それをどうすることもできないモドカシサを放二は感じつゞけた。

       十四

 翌日、放二は約束通りエンゼル家を訪ねて、十万円渡した。
 十万円渡した瞬間から、サバサバした気持になることができた。金というものは奇妙な生き物である。人にやるときめた金でも、フトコロにあるうちは、ミレンの去りがたいものがある。他人に所有権が移ってしまえば否も応もない。自然にサッパリしてしまう。
 十万円で人の信頼を買おうという考えがどうかしている。金額の問題ではない。金で人の心は買えな
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