クチのモトデをまきあげる道具にすぎないと心得て、一文も置いて行きはしないものだ。一度でもスキを見せると、つけこんできて、情婦のつもりで食い物にし、着物や装身具や鏡台や茶のみ道具まで質に入れてバクチに使い果して、それが当然だと心得ている。狡猾、卑怯、折あらば、つけこむ虫であるから、これに対するパンパンの心構えとしては、柳に風、剣術の極意に似ている。
エンゼルは片手にコップをにぎりながら、ルミ子の首をかかえて抱きよせたが、ルミ子は、ゆっくりとスリぬけて、
「しつこいこと、しちゃダメよ。暑くって。ウチワであおいであげるから、ビールのんで、お帰り」
「約束のお客があるのか」
「お客は道にゴロゴロいるよ」
「ふざけるな。オレと遊ばないというのか」
「お金、ちょうだい。私、お客様と遊ぶのが商売よ」
エンゼルは単純に殺気立った。満座の中ででも、一人の女を暴力で意にしたがわせるぐらいのことには、場数をふんでいるという様子であった。
ルミ子は、しかし、落付きはらっていた。
「いい兄さんが、金で買えるパンパンを手ごめにしたら、物笑いよ。そうじゃなくッて。もっと気のきいた女を相手にするもんよ」
なんの激するところも見えない小娘の様子であった。四方山話をしているような、屈託のない薄笑いをうかべていた。
「金次第で、どうにでもなるというんだな」
「そうよ」
「どんな男とでも、な」
ルミ子はニッと笑った。
「パンパンだって、選り好みはあってよ。そうじゃないと思うの」
明るくて、邪気のない答えであった。
七
エンゼルは娘をだまして一稼ぎするには妙を得ていた。終戦後の二三年はそれで食いつないでいたのである。美貌が第一の資本であったが、女の心理にも通じており、演技者としての才能が抜群であった。
しかし、パンパンなどに対して演技の必要はなかった。同じ裏街道の同志で、生地をさらけだして、不都合がある筈はない。顔の貫禄と美貌は彼女らの身にあまる偶像で、エンゼルの逞しい腕に、ムンズとひきよせられたパンパンは、あまりの羞しさに、泣きそうになり、もがいて逃げようとするのであったが、有無を云わさず引き寄せられて厚い胸に押しつけられると、力はつき、ただ夢を見るようにウットリしているだけであった。
そうでないような女に対しては、そうでないように、エンゼルは対策にこまるということは、めったになかった。
エンゼルは酔っていても、ヨタモノの本能は鋭敏であった。
放二の部屋で、ルミ子が彼に遊びましょうよと誘った言葉を、いつもと同じように、当然なことと真にうけたのが軽率だったのである。
「すると、この女は……」
と、エンゼルは思った。
みんな、グルだ。あの若い奴は、好男子の坊ッちゃん然と、まるで世間知らずの顔をしているが、実は町内のパンパンどもをみんな情婦にしているのである。そして、この女が、情婦筆頭というわけだ。
何組のなにがしというヤクザでもない青白いインテリに、時々こういう教祖めいたヤサ男がいるものであるが、悪事の型がきまっているヤクザとちがって、こういう奴らは何をしているか分らない。しでかすことの筋が見当がつかないのである。エンゼルは、こういう奴が苦手であった。彼の仕事と同じ性質のことを、特別の筋と才能で楽々果しているように思われたからである。彼は対等の敵として、放二に対して激しい闘争心をもやした。
この女が自分を別室へひきたてたのは、自分が放二にからむのを避けるためだ。しかし、腕力に自信がないからインネンをつけられるのを避けたと見るのは当らない。先方にはピストルのようなものがあって、ただ軽率に血を見ることを好まなかったのかも知れない。あのヤサ男の静かな落付きは尋常ではない。エンゼルはそれを軽視することができなかった。世間知らずの記代子などには、あのヤサ男の正体が分るはずはないのである。
そう気がついてみると、ルミ子という女も、さすがに、ただのパンパンとはちがう。邪教の一味は、小娘のパンスケまで、ミコだか狐つきだか分らないが、老成ぶって、得体が知れないのである。
「お前は、いくつだ」
「十九」
「フ。どうだい。オレが北川を殺したら、どうする? お前、オレの女になるか」
エンゼルはビールをなめて、面白くもなさそうに、せせら笑った。
ルミ子の顔色は変らなかった。
「なぜ殺すのさ」
「なに、下駄につかえた石ころをはじくようなものだアな。誰かが、ちょッと、どこかの街角で、あの兄さんを眠らしてくれらア」
「全然、タダのチンピラだ」
ルミ子はガッカリして、ねころんで、片肱を枕にエンゼルを見つめて、つぶやいた。
「屋敷もちの花つくりのアンチャンも案外だなア。よくお金モウケができたわね」
八
「誰か殺せば、女がウンと云うとでも思っているの?」
ルミ子は起き上って、坐り直した。彼女は次第に亢奮していた。
たかがヨタモノの脅迫ぐらい、気にするほどのこともない。それも女を口説いての凄文句にすぎないのだから、ムキになるのは、相手の術中におちこむようなものである。
しかし、放二が殺されるという事柄について考えると、凄みを並べたてるだけのコケおどしかも知れないけれども、我慢ができなくなり、全身が熱くなってしまうのだ。
ルミ子の目が吊った。ふだんと、まるで人相がちがって、赤いホッペタの童女が、怒って、白くなったように見えた。
「誰が殺されたって、お前なんかに、ウンと云うもんか。嘘か、どうか、ためしてごらんよ。私を殺してごらん。ウンと云うか、どうか。今、やってごらんよ」
自分がここで殺されれば、エンゼルは捕まるし、放二に迷惑はかからない、ということが、誰に知られなくとも、ルミ子には悔いはなかった。
彼女はムチャクチャにエンゼルが憎かった。放二をヨタモノなみにしか見ることができないような男、たかがパンパンとの一夜のために放二を虫ケラのようにヒネリつぶそうと思うような男。彼女はどんな男にでも、金で肌をゆるしてきた。それを悔いてはいなかったが、殺されてもこの男には許してやらないということが、最後の償いのように思われた。
ルミ子はむしろ殺されることを望むような気持であった。すすんで獅子の前へ進みでる勇気がわき起っていた。
ルミ子は立って、ネマキをぬいで、着物にきかえた。シゴキを一本、エンゼルの前へ投げだして、坐った。
「殺してごらん。私のクビを、しめてごらんよ。人殺し、なんて、叫びたてやしないから。音をたてずに、死んでみせるから、安心して、しめてよ。ちょッとした呻きぐらい、でるかも知れないけど、ウンと言ったわけじゃないから、まちがえないでおくれ」
「フ」
エンゼルは口にふくんだビールを、いきなりルミ子の顔へふきつけた。ルミ子の顔は、うしろへ一分ひく様子もなかった。
エンゼルはビンタをくらわせた。ルミ子の上体がふらついたが、倒れなかった。そこで、つづけさまに往復ビンタをくらわせた。左へふらつくと、右へ叩き返され、右へ傾くと、左へ叩き返された。
しかしルミ子は痛さというものを全然感じなかった。彼女の全身にみちあふれているものは、決意だけであった。
エンゼルは手をやすめたので、
「卑怯者。ぶって、ごまかすつもり」
「どうしても、死にたいか」
「やってごらん」
エンゼルはシゴキをひろって横へすてて、
「よし。殺してやる。言い残すことはないか」
両手でルミ子の首のまわりを握りしめた。ルミ子はアゴを上へあげて、握りいいようにしてやった。そして、エンゼルの腕にすがったり、もがいたりしないように、両手で自分の両腕を握りしめた。エンゼルは三度、首を持ち上げたり下したり、演習した。そして、とつぜん上へひっぱりあげられたと思うと、全身がチョウチンのようにフラフラふりまわされたように思った。そして、わけが分らなくなってしまった。
九
ふとルミ子が気がついたとき、誰かがそこにいる様な気がした。目をあけて見定めようとすると、扉が閉じて、誰かが部屋の外へ立ち去ったようであった。
ルミ子は又目をとじて、できるだけ我慢して、ジッとしていた。自分が、どこで、どんな風になっているのだか、それを知りたいと思った。
そして、目をあけて起きてみると、部屋の中には誰もいなくて、彼女は全裸でフトンの上へねかされている自分を見出した。
着物は部屋の片隅に、まるめて捨てられていた。顔をなでてみた。洟《はな》もでていない。
ルミ子は暴行されたことを知った。
彼女がフトンの上へねかされていたことや、全裸にされて身体の汚物をキレイにふきとられていたことは、エンゼルの仏心でもなければ、人工呼吸のためでもない。心ゆくまで暴行をたのしむためであったにすぎない。
ルミ子は全身の力がぬけ落ちるような落胆を感じた。彼女が敢てしたことは、すべて徒労だったのだ。ルミ子は性戯ということに特別の感情をもたなくなっていたが、自分の知らないうちにエンゼルのいろいろの侮辱を蒙ったことを思うと、救われようもない悲しい思いに沈んだ。
「なぜ生き返ったのだろう!」
彼女は泣きだした。はりつめていたものが、際限もなくゆるんで行くようであった。小学校の初年生のころ歩いた道々の野原の橋や、その小川のほとりのレンゲ草の咲いている河原が見える。そこに花をつんでいるのは、たしかに自分だ。小学校の一年生の自分なのである。一方はあかるい青空だし、一方の空は燃えるような夕焼だ。そして橋のタモトから、自分のすぐ手のとどくところから、一|米《メートル》ぐらいの階段のような虹が、まっすぐ夕焼の空へかかっているのである。いつのまに、こんな虹がかかったのだろうと考える。さッき橋を渡るときまでは、あそこに、なにもなかったのに。……
気を失ったのか、眠って夢を見ていたのか、わけの分らないような状態から、ルミ子はふと我にかえった。
誰かが扉をノックしている。
「だれ?」
「私。カズ子よ。ちょッと、いい?」
「ちょッと、待って」
ルミ子は立って、ネマキをきて、扉をあけた。
カズ子は中をのぞいて、
「もう、あの人、帰ったの?」
それをきくと、廊下の曲り角に隠れて様子をうかがっていたヤエ子も姿を現した。
「ちょッと、心配だから、来てみたのよ。おとなしく帰ったのね」
「うん。とっくに帰ったわ」
「チェッ。じゃア、あッちの部屋へくればいいのに」
ヤエ子は苦笑して、
「色男をみると逃がしゃしないんだから。オタノシミのことですよ」
「兄さんは、ねた?」
「いいえ、起きてる」
ルミ子はふと身にしむような懐しさを覚えてクラクラした。
十
その翌日、放二はエンゼルの自宅を訪ねて行った。
酒を飲みすぎれば、誰しも妙な風になるものだ。しかし、それが当人の本心というわけではない。たとえ本心にしたところで、誰の本心も汚いものだが、理性の働いている時には抑制されているのだから、酔わない時を人間の常態とみるのが当り前だ。
エンゼルは放二の生活に甚しい見当ちがいの判断を下したけれども、そう疑っている気持が酔って現れただけのことで、放二の正体を疑っているというのも、放二の本当の心を知りたがる気持があるからに相違ない。
たぶん記代子が放二の生活について疑っていることを、事実としてエンゼルにきかせたのだろう。それをエンゼルが真にうけるのは当り前で、疑う理由は十分である。
しかし、こッちが誠意をもってつきあううちに、やがて分ってくれるときがくるだろう。そういうものだと思いこんで、やりぬく以外には適当な手段がないようだ。放二は、あきらめなかった。
エンゼル家の表門は堅く閉されているので、呼鈴をおして案内を乞うと、アンチャンが戸の小窓をあけて、来意をきいた。
相変らず、長時間待たせたあげく、四人ものアンチャンが小窓から代り番こに隙見して、放二の服装や、その背後に人はいないかと点検しているようである。
ようやく戸が開いたので、一足はいると、放二の後足は危く閉じる戸にはさまれて、つぶされそう
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