なったって、いいんだから。な。たのむよ」
「助かるッて、どうなることなんだい」
 静かな返事に、青木は目をまるくしたが、はげしい絶望に盲いて、
「なに言ってるんだ、君は! 君はハラワタからの悪党だね!」
「君の善意は分るんだよ。ぼくが悪党であることも、まちがいはないね。ただ、泣くのは止した方がいいぜ。涙から結論をかりてくるのも良くない。もっと静かな方がいいぜ。他人のことを処理するように、自分のことだって処理できるものだよ」

       八

 青木はしばらく考えていたが、首を横にふって、
「いや、ダメだ。ぼくは、いつも、それでやられるんだ。君はいかにも、ぼくの心を言い当てたり、それに同感してみせるようなことを言うね。それは易者が妄者の迷いを言い当てるのに良く似ているね。迷いの最大公約数みたいなものを、言いきるわけさ。そして輪をちゞめていくんだ。もっとも、易者との相似は君だけじゃアないがね。日本のインテリ一般の会話のコツかも知れないな。まるで謎々の遊戯みたいなものさね。ねえ。長さんや。易者ごッこはよしましょうや。なア。あなた。ハッキリ、答えてくれたまえよ。ぼくは記代子さんと結婚するぜ。それで、いいのかね」
「ぼくの返答をかりて、やる必要はなかろうさ」
「そうかい。わかった」
「まア、のみたまえ」
「もう、帰るよ」
「乗物がないぜ」
「夏はどこででも野宿ができるものさ」
「記代子も変な子だね。なんだって、君なんかが好きになったんだろうね。変な夢を見る奴さ」
「ふん。夢を、ね」
「ぼくは、ねるぜ。君、勝手にのんで、勝手に、ねたまえ」
 長平はタタミの上へころがって枕を当てた。
「君はフトンをしかないのか」
「そう。夏はね。たまに、グッスリねむるときだけ、フトンをしくのさ」
「じゃア、失敬するよ」
「そうかい」
「君とねたかアないからな。目がさめて、大坊主のねぼけ顔を見るなんざア、やりきれやしないからな。君は、今日、記代子さんに会ったろうね」
「会わん」
「なぜ」
「ぼくが上京するてんで、会社を休んだそうじゃないか」
「……」
 青木は顔色を変えた。思い直して、
「じゃア、帰ろう。このウイスキー、くれないかね。夜明けまで、どこかの焼跡でのんでるんだよ」
「もってきたまえ」
「記代子さんもオレみたいなことをやってるんじゃないかね。会社を休んで、行くところなんか、ありゃしないと思うんだがな」
「心配することはないだろう」
「そうかい。じゃア、失敬」
 青木はウイスキーのビンをぶらさげて、茶室をはなれた。
 その日、記代子が会社を休んだことは知っていた。長平の上京の日だから、迎えに行ったのだろうと思っていたのだ。
 どこをさまよっているのだろう。
 しかし、みんなバカげていると青木は思い直した。長平なんかが、もっともらしく悪党ぶるのは滑稽でもある。オレの本心は全然動揺してやしないのだ。ただオレの影がゆれているだけ。甘えてみせたり、苦しんでみせたり。みんな影法師の念仏踊りのようなものだ。
 まさしく演技者には相違ないが、そう考えてみたところで、とりわけユトリがあるわけでもなし、優越を納得することができるわけでもない。
「今に、なんとかなる。何かに、ぶつかるだろう。そして、ぶちのめされてみたいのさ」
 彼は苦笑して自分に言いきかせた。


     失踪


       一

 記代子は長平の上京した金曜日から、会社にも姿を見せなかったし、下宿している遠縁の人の家にも戻らなかった。
 失踪がハッキリしたのは月曜日である。すねるのも程々だと、せつ子が宿先へ使いの者をやってみると、金曜以来、宿にも戻らぬことがわかった。
 記代子の外泊がめッきりふえて、宿先ではなれていたし、ちょうど土日曜にかかっていたので、不審を起さなかったのである。
 放二は社長室へよびつけられて、せつ子から記代子の失踪をしらされた。長平が部屋に来合わせていた。
「あなたの独力で、かならず探しだしていらッしゃい。誰に負けてもいけません。たとえ、警察にも、探偵にも。かならず、あなたが見つけなければいけないのよ」
 と、せつ子は命令した。
「このことは私たちのほかに、穂積さん、青木さんが知ってるだけです。ですから、行方を探すにしても、記代子さんの行方不明を人に気付かせてはいけません。たとえば、記代子さんのお友だちのところへ訊きに行ったとしますね。記代子さんが行方不明ですけど、なんて言っちゃダメなのよ。記代子さんに急用ができたんですけど、記代子さんがあいにく会社をサボッてとか、定休日でとか、そんな風に言うのよ。わかりましたね」
 かんで、ふくめるようである。
「それから」
 と、せつ子は放二をジッと見つめて、
「なぜ記代子さんが失踪したか、それを考えてはいけません。あなたの役目は記代子さんを探しだすことなんです。失踪の原因を探索するのは、あなたの役目ではないのです。妙な噂がありましたから、あなたも薄々きき知って、いろいろ推量していらッしゃるかも知れませんが、あなたの推量は、全部まちがいよ。噂は全部デタラメなんです。あなたは人の噂など気にかけませんね?」
 放二はかるくうなずいた。
「人間て、どうして人のことを、あれこれと、憶測したがるのでしょうね。自分のことだけ考えていればいいのに」
 せつ子は退屈しきった様子で、そう呟いたが、机上から一通の封書をとりあげて、
「これは大庭先生が記代さんの下宿の人に差上げるお手紙。この中には、あなたのことが書いてあるのです。記代子さんのお部屋の捜査をあなたに命じたから、部屋へあげて自由に探させてあげて下さい、ということが書いてあります。あなたは記代子さんのお部屋に行先を知らせるような何かゞないか探すのです。又、お友だちの住所とか、捜査の手がかりになりそうなものを見つけてらッしゃい。意外な事実を発見しても、捜査がすんだら、忘れなくてはいけません。記代子さんが失踪したことも、忘れなくてはいけません」
 放二はアッサリうなずいた。長平は笑いだした。
「ずいぶん器用なことを命令したり、ひきうけたりするもんじゃないか」
 放二も笑ったが、
「むしろ、いっと簡単なことなんです」
「ふ。君はそんな器用な特技があるのかい」
 放二はそれには答えなかった。
「では、行って参ります」
「手がかりになりそうなものがあったら、明日、会社へ持ってらしてね。記代子さんが見つかるまでは、会社の仕事はよろしいのです。穂積さんに言ってありますから。記代子さんを探すのが、あなたのお仕事よ」
 放二はうなずいて去った。

       二

 放二は記代子の部屋をさがした。
 室内を一目見たとき、記代子の覚悟のようなものが感じられでハッとした。部屋がキレイに整頓されていたからである。
「イエ、私がお掃除しましたの」
 と、下宿の人は、事もなげに云った。
「おでかけのあとは、毎日々々、それは大変な散らかしようですよ。おフトンだけは自分で押入へ投げこんでいらッしゃいますけどね。ホラ」
 押入をあけてみせた。くずれて下へ落ちそうだ。よくたたみもせずに投げこんである。放二は自分の万年床を思いだして、男女の差の尺度はこの程度かと、おかしくなった。
 一目見たときは整頓されていたようでも、しらべていくと、乱雑そのものである。ヒキダシの中も本箱も。
 日記帳を見出したとき、彼はいくらか安心した。覚悟の失踪なら、こういうものは焼きすてていくはずだ。たしかに今年の日記帳に相違ない。彼は中を見なかった。安心して、本棚の奥へ押しこんだ。
 社をでるとき、穂積のところへ挨拶にいくと、穂積は彼にささやいた。
「青木さんが悲愴な顔で出かけたがね。たぶん心当りへ探しにでたんだな。ぼくはさッき社長に呼びつけられてさ。噂をまいた張本人みたいにこッぴどく叱られたんだが、社長が君に独力で探してこいという気持は分るけど、ムリだな。青木さんは彼女の私事にも通じてるだろうし、君が先に見つかりッこないぜ。ぼくが青木さんに話しておいてあげるよ。彼女を見つけても、その功を君にゆずるように、とね。まア、あんまりキチョウメンに探しまわらずに、遊びがてらの気持で、ゆっくりやりたまえ」
 放二の健康を気づかってくれたのである。
 青木と記代子のことは、もとより放二も知っていた。当然なことであるから、穂積はせつ子のように見えすいた隠し立てはしなかった。
「ええ、一通り探してみようと思います」
 こう答えると、穂積は苦笑して、
「なに、生きてるものなら、探すこたアないよ。君のからだが大事だぜ。死んでるものなら、警察の領分さ。とびまわるのは、青木さんだけで、タクサンだ」
 哲学科出身のこの男は、日本式のプラグマチズムを身につけて、煩瑣なことには一向に動じなかった。
 死んでるものなら、たしかに手の下しようがない。しかし、生きていると、いつ死ぬかわからない。又、どう転落するかわからない。放二はこの部屋の中から記代子の足跡をどうしても見つけだそうと思った。
 捜査の手がかりになりそうなものを一つ一つとりだした。
 友だちからの手紙。みんな親しい女友だちからである。男からの手紙はなかった。
 手紙を一つ一つ読んでみても、手がかりになりそうなものはない、暢気な手紙ばかりであった。放二は差出人の住所を書きとった。
「やっぱし、日記かな」
 最後の日付の日記だけカンベンして見せてもらおう、と放二は思った。最後だけじゃア、まにあわないかな。あるいは、最後の一週間分ぐらい。
 放二は押しこんだ日記帳をとりだした。そして、頁をパラパラめくって最後の日付をさがした。最後の日が、どこにもない。ないわけだ。全部、白紙であった。元旦すらも。

       三

 しばらく笑いがとまらなかった。放二は再び日記帳を本棚へ押しこんで、ヒタイやクビ筋の脂汗をふいた。
「これで一応さがしたわけだが」
 ほかに捜す場所はなさそうだ。手紙の束をしまうついでにヒキダシをかきまわしてみると、ガラクタにまじってマッチ箱がタクサンあった。
「タバコを吸うのかしら?」
 ふだん吸ってるのを見たことはない。しかし机の上に小さなピンク色の灰皿があった。マッチ箱は軸がつまっていて、ほとんど新品だ。三ツ四ツ例外はあるが、大部分が同じ店のマッチであった。
「ノクタンビュール」
 たしか青木前夫人の働いているバーである。店の名だけはきいていたが、彼はそこへ行ったことがなかった。あんまり数が多すぎるのでザッと数えると、二十いくつあった。いつも青木と一しょだから、その店へ行くことがあるのにフシギはない。しかし、ずいぶん通ったものだ。それとも、まとめて貰ってきたのだろうか。放二はマッチ箱を手にとってボンヤリ見つめて考えた。しかし、思いつくことは何もない。
「とにかく、マッチ箱の店へ行った事実はあるのだから」
 と、放二はマッチ箱の店名を手帳に書きとった。箱根や伊豆の温泉旅館のマッチが三ツ。彼の知らない銀座のバーが一つであった。箱根、伊豆、そんなところをブラブラしてるんじゃなかろうか。なんとなく、そう考えておきたいような気持であった。
 捜し終って、放二は宿の人たちの話をきいた。
「金曜の朝は、いつもの出勤時刻に、おでかけでしたでしょうか」
「ええ、時刻にも態度やその他にも、いつもと違うところはちッともなかったようですよ。朝は忙しいので、特におかまいもしませんでしたけど、御食事中の御様子やなどでも、ね」
「特に親しくしてらした女友だちは?」
「そう。たまにね。遊びにいらした方もあるし、お噂をうかがうこともありましたが……」
 主婦が思いだした名は、放二の手帳に控えたものをでなかった。
「別に、それまで、変った様子はなかったのでしょうね」
「いえ。毎日変った様子でしたよ」
 主婦は大ゲサに身ぶりした。
「つまりね。金曜の朝はいつもと変りがなかったのですよ。ですけど、そのいつもがね、決して普通じゃないんですよ」
 放二が世間知らずに見えるので、主婦はコクメイな話し方をした。そして、言ってよいのか、ど
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