糸で、婆さんが唄う。四人は踊りはじめた。
すでに長平は感づいていた。踊っている四人の年増は男なのだ。声でも分るし、電燈の下では扮装がハッキリしている。しかし踊りはたしかなものだ。所作がやわらかい。
婆さん芸者は本物の女らしいが、カツラ頭で男らしいところもある。洋装の美人芸者と半玉だけは本物の女であろう。
「あの四人は男娼ですか」
長平がきくと、せつ子はうなずいて、
「ええ。この席には女は一人もおりません」
「え? 洋装の人は髪の毛が本物でしょう」
「ええ。ですけど、男なんです。お蝶ちゃん」
せつ子は半玉を自分の方に向けさせた。お蝶はうるんだ目でジッと見あげる。せつ子はカツラに手をかける。お蝶は真ッ赤になった。せつ子はスッポリ、カツラをぬいだ。少年であった。
「別室へ参りましょう」
せつ子は長平の手をとって立った。
十
そこは数寄屋造りの別棟であった。温泉風に浴室も附属している。居間に食卓の用意ができて、長平の好きなコニャックも、ほかの洋酒も、酔心も、とりそろえてあった。
「お風呂はいかが?」
「それには及びません」
「お寝床もしいてございますから、どうぞ、ごゆっくり」
せつ子は長平にコニャックをついで、
「先生。のみほして。私にちょうだい」
長平のグラスをうけとり、ついでもらって、一息にのむ。さしては、もらい、数回つづけて一息にのんだ。せつ子の目の縁はバラ色にそまった。
「悪趣味の女とお思いでしょう。因果物ばかりお見せして」
「いいえ。たいへん有りがたく思いましたよ。珍らしいものを見せてもらって。ところで、あなたは、どっちのあなた? 裸のお方かな? 暗闇で手を握ったお方?」
「どっちが、おすき?」
「梶せつ子さんは、どっちかな」
「二人ともよ。そして、お好きなほうよ。どっちも私ですもの。先生。手を握りましょうか」
せつ子は膝をよせて、長平の手をとった。
「どう? 覚えてらッしゃる。おんなじ?」
「わからないね」
「じゃア、こう」
グッと力をこめてみせた。
「なるほど。それで、わかった」
せつ子は笑って、
「でも、先生。不安を感じませんでしたか」
「どうして?」
「私ね。あとで、男娼の手にすりかえさせようかと思ったんです。はじめの計画は、そうだったの。男娼はよろこぶわ。暗闇で先生に頬ずりしてよ。甜《な》めるわよ」
「どうして、そんなことがしたいんです」
「ひどい方」
せつ子は媚をためて睨んだ。
「なぜ青木さんに変な名刺もたせてよこしたんです。イタズラッ児。もっと悪意にとったわ。でもね。イタズラッ児の仕業と思って我慢してあげたんです」
「悪意にとっても、かまわんのさ」
「先生は私を悪い女とお思いなんでしょうね」
「そうきめてかかれば、わざわざあなたを見物に来やしないさ」
「私は同情はキライなんです。そして、ジメジメした人情も」
「キライと好きは生涯ハッキリしませんよ」
せつ子は長平の手を両手でとって、グイとにじりよって、大胆に見つめた。
「先生は私のどこがお好きなの」
「今日のあなたは一流だよ」
「ヒョッと思いついただけよ」
せつ子は静かに唇をよせて、
「先生は一流ね。なんでも、ヘイチャラなのね。一流でなければダメだわ。青木さんなんか、ダメ」
「一流の人間は三流四流を好むものかも知れないよ」
「じゃア、私は四流のパンパンよ」
せつ子は長平のクビにまいた腕にグイと力をこめて、下へ倒れた。泣声をたてて、唇を押しあて、せつ子は理性を失った別人であった。唇をはなして、
「さっきの裸体は踊子よ。私の裸体は、もっとキレイ。もっとステキだわ」
情熱にふるえて、ウワゴトのようだった。
十一
長平の離京は一週間ほどのびた。せつ子に全集の発行を許すについて、他の出版社との行きがかりから、いろいろ雑用があったからである。
放二と記代子もせつ子の社で働くことに話がきまったが、ちょうど放二たちの社は経営難で、売れない雑誌を廃刊し、事業を縮小する必要にせまられていたから、この方は面倒がない。渡りに舟と編集長の穂積までせつ子の方へ譲り渡す始末であった。
いよいよ明日は離京という晩、長平がおそく宿へもどると、茶室に青木が待っていた。
「明日はお帰りだってね。べつに大した用もないんだが、お名残りおしいから、ゴキゲン伺いにきたのさ」
相変らずの皮肉な口調であった。
「一週間、君にも、梶女史にも、北川少年にもお目通りしなかったから、奴め自殺しやがったかとお考えかも知れないが、ナニ、ぼくのことなんか爪の垢ほども考えてやしないだろうがさ。ハハ。しかし、お名残り惜しいんだ。純粋にそれだけだよ。恨みを述べればキリがないがね」
青木は笑って、
「知ってるんだよ。あの晩、君と梶女史が待合に泊ったことを。ハハ。つけたんだよ。梶女史に会いたくってさ。なにも、あなた、ぼくがどれほど落ちぶれたって、あなた方がシッポリなんとやら、それを突きとめるためにつけるほどケチな根性はもたないさ。ねえ。そうだろう。女房があなたが好きで先刻逃げられたぼくだもの、今更ねえ。だがさ。待合の陰にかくれて一夜をあかして、あなた方がついに御帰館なきことを知らざるを得なかったぼくの胸中というものは、甚だ俗ではあるが、万感コモゴモでしたよ」
それを言ってしまうと、青木はかえって晴れ晴れしたようであった。彼は明るく笑って、
「それから、ぼくが、どうして生きていたと思う? いやさ。恨みを述べるわけじゃア、ないですよ。アベコベなんだ。その一夜が、転機なんだよ。万感コモゴモの次に、ホンゼンとして心機一転。それほどでもないが、なんとかしたと思いたまえ。ここ一週間、ミミズみたいに、どこか暗いところを這いずりまわり、のたくりまわってきたがね。実はね。今日は又、君の一筆が所望なんだ」
彼は益々明るく笑いたてて、
「実はね。梶せつ子の新社へ一介のサラリーマンとして採用してもらいたいんだ。恨みも迷いも、すてたんだ。それを捨てるのに、一週間、かかったんだよ。ねえ、君。考えてみれば、ほかに、オレみたいな老骨を拾ってくれる会社はないじゃないか。誇りなんぞ、持ってやしませんよ。生きるには、食わねばならず、食うには、どこかで拾ってもらわざるを得なくなったからですよ。枝葉末節を語ればキリがないが、荒筋はそれだけさ」
「働くポストは」
「門番でも、事務員でも、編集でも。長と名のつくものを望まないよ。女房に逃げられた男が、ふった情婦の店で働くのに御慈悲の長は所を得ていませんよ。まア、当分、考えることを探すわけさ。もし人生に考える価値のあるものが在ったとしたらね」
長平はせつ子に当てて手紙を書いた。青木を使ってくれという依頼の。なぜなら、そのことに不賛成ではなかったから。
「ありがとう。女房が、イヤ、前女房が、銀座のバーで働きだしたよ。今度上京したら寄ってくれよ。たのまれたんだ」
そして青木は立ち去った。
翌朝、長平は東京を去った。
娘ごころ
一
「たまには、つきあえよ」
と、青木が放二をさそったが、
「でも、校正を急がなければなりませんから」
放二は明るい微笑で応じたが、額や頸には脂汗がういていた。
「残業、又、残業か。ジミな人だな。顔色が悪いぜ。お嬢さんが淋しがっていらッしゃるじゃないか。よく働き、よく遊べ、さ。ねえ、記代子さん」
記代子は帰り仕度にかかりきって、顔もあげず、放二をさそいもしなかった。
「じゃ、お先きに」
二人はそろって先にでた。
せつ子の新社は多忙であった。けれども雑誌編輯部にくらべれば、出版部は大きにヒマな方だ。放二も、記代子も、青木も、出版部をまかされていた。そして、もと放二たちの編集長の穂積が出版部長であった。
せつ子はお義理で入社させた連中をみんな出版部へ集めたのである。それは雑誌の編集に特に抱負があったからで、編集上の見識や才腕を特に見込んだ者でなければ、雑誌部へは入れなかった。
「青木さん。ビール、のませる?」
「やむをえん」
「たびたび、相すみません」
青木と記代子は、ちかごろ、たいがい、一しょであった。青木は、そのことで、ほろにがい思いをしていたのである。
記代子は放二を怒っているのだ。なるべく残業するようにして、一しょに遊ぶのを避ける様子があるからである。青木はそれを見かねて、若い二人を仲よく遊ばせてやるために、時々二人をさそったが、放二はそこからも身をひくようにして、青木と記代子二人だけで一しょに歩くのが自然になった。青木はつとめて放二を誘うようにしたが、記代子は放二を誘わなくなった。
暑気が加わってから、放二のからだは、めっきり衰えていた。二度、軽く血をはいたことがあったが、それを誰にも悟られぬようにしていた。
少年時代から病弱で、寝たり起きたりの生活はウンザリするほど重ねてきたが、養父母の仁愛ふかい看護の下で、彼が体得したことは忍耐であった。
あるとき、放二はオリムピック・マラソン選手の戦記をよんだ。彼らは時々ある地点に於ては、激痛のあまり知覚を失ってしまうのだ。手も足も動かなくなる。放置すれば、倒れる一瞬である。天水桶をみつけて、すがりつく。頭から、かぶっているのだ。又、歩きだす。知覚がもどり、彼は走りだしている。苦痛を超える、よろこび。坂がある。果して、駈けあがる力があるだろうか。疑いに負けてはならない。あらゆる苦痛をのりこして、走りつづけなければ勝つことができないのである。
一番健康な人のマラソンと、病人と、よく似ている、と放二は思った。マラソン選手は高熱のウワゴトの状態で走りつづけるのだ。苦痛に耐えて、生きぬき、走りつづけているのは病人だけではないのだ。人生が、そういうものなのである。凡人は途中でおりたり、落伍してしもう。まだしも病弱な自分は、その宿命として、おりては負けることをさとっている。そして、選ばれた優勝選手の心境を理解することもできるし、ややそれに似た日々を体験もしている。
少年の日、放二は病床で、そんなことを考えたことがあった。
二
この夏の暑気いらい、急速に衰えはじめた放二は、養父母の慈愛の手にみとられていたころとちがって、仕事もあったが、休息すべき部屋がなかった。
早めに戻って休息するのが何よりだったが、寝ていると、彼の部屋をたよりにしている女たちに暗い気持を植えてしもう。病気と闘っていることを、彼女たちに悟らせてはいけないのである。
最良の方法として選んだのは、ねる時間まで残業していることだった。仕事もたしかに忙しかったが、それを残業にのばしてやると、仕事を半ば休養に中和することもできるのである。
こまるのは、記代子と青木の誘いを拒絶しなければならないことだ。
せつ子は放二と記代子に、二人が当然結婚すべく定められているかのような言い方をした。それが記代子に現れる反応は敏速であったし、確信的であった。せつ子の認定を得ていることは、内々叫びをあげなければならないような馴れ馴れしい表現をしても、顔すらも赧《あか》らめさせない支えになるのであった。
しかし、放二が彼女の誘いに応じる度数は、三日に一度に、五日に一度になる。そして、青木は好二を誘うが、記代子はもう誘うこともやめてしまい、話しかけることも、なくなってしまった。
それでいいのだ、と放二は思うのである。病弱な自分は、結婚には不適な人間だ。相手を不幸にするだけだから。記代子が積極的になるほど、放二は身をひく。ぼくなんか、忘れて下さい。それを説明することはできるが、人生は説明では解決がつかない。放二は説明の代りに身をひいた。そして記代子が離れて行くのを、静かに、しかし、愛情をこめて見送りたかった。ごきげんよう! ボン・ボアイヤージュ! というように。
「若い者は、手間をかけたがるものさ。曲った方へ、曲った方へ、歩きたがるんだ」
青木は記代子をひやかした。しかし、若い者だけのことじゃない。自分にしろ、礼子にしろ、もっと、ひどいようなものだ。
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