い存在だということを、五十年ちかいあいだ身にしみて考えたことはなかった。
 青木は親しみを表すかわりに挑戦的な表し方をするヒネクレた性癖のおかげで、彼が親しみをもつ人に限って、あべこべに彼をうとんじるという妙な喜劇に一生なやまされてきた。
 相手が自分にウンザリしてしまう理由が、まことにモットモ千万であると納得することができる。
 そして、そういう事柄の中に、いろいろのことがまぎれて、姿がかき消されている。たとえば、梶せつ子という親友は、現在は自分の社長である。そして、長平に対する義理であるか、または気まぐれであるかは知らないが、相当のサラリーをくれて、仕事らしい仕事もさせずに遊ばせておく。いや、遊ばせておくということの中に、彼女、イヤ、親友の意地のわるさがあるのかも知れない。つまり、無用の存在だということを思い知らせるという意地のわるさである。
 けれども、時間的にその前のことを考えると、実に、彼女親友は、彼の恋人であったのである。否、彼の金銭に従属するところの情婦的存在であったのである。そして、彼は彼女親友に、そのとき八十万円ほどかすめとられている。
 現在彼女親友が社長であるところの出版社にしても、元はといえば、彼即ち自分がかすめとられた八十万円を資金の一部としてやりはじめる計画であったが、他に雄大なる後援者が現れて、かれこれするうちに、彼即ち自分は一介の無用な使用人に身を沈め、彼女親友は押しも押されもしない大社長になっていた。
 しかし、すべてそれらの曰く因縁はあたかも地上から姿を没し去ったかのようである。彼は今でも彼女に対して親友の愛情をもつが故に、あたかも挑戦するかのような妙な表現をしてしまう。それに対して彼女が彼に示すものは親友の情ではなくて、お前は無用の存在だという意地のわるさなのである。
 ところが奇怪なことには、彼は彼女に挑戦し、彼女は彼に意地わるをもって応じるという関係のみが現存するが、曰く因縁というものは、彼自身の意識中においてすらも、ほとんど姿を没し、消えてなくなっているではないか。
 まア、しかし、そういうことは、どうでもかまわない。
 妙なのは、記代子と結婚するという断々乎たる決心なのである。どこにも、そんな決心などは、ありやしない。何かしら、ちょッとでも真実らしいものがあるとすれば、彼は記代子がころがりこんだとき、あまりの哀れさにト胸
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