をつかれた。それだけである。
彼は夜明けまで熱心に介抱したが、彼は介抱しながらも、この女はバカな女だ、バカな女というものを端的に戯画化したのがこの女のこの現実の姿だ、というようなことを考えていた。
「よろし。京都へ行って、長平どんにたのんで正式に女房にもらってやろう」
そう考えたつもりで、汽車にとびのったが、今や、どう考えても、そのとき、そう決心したと信じることは不可能だ。オレはその決心を口実にして、実は自分の気付かない目的のために京都へ行くつもりだろうか、と考えた。ワケのわからないバカな話があるものだ。しかし、現にそうではないか。
九
問題の本尊は、記代子ではなくて、別れた女房にあるのかも知れないな、と青木は考えた。
長平に会いたいのは、礼子のことであるかも知れない。礼子は長平のふところへとびこむつもりで彼をすてたが、結局、長平は彼女を相手にしなかったし、今は礼子もあきらめたようである。
しかし、あきらめるッて、何をあきらめるツモリだろう。彼にもあきらめたことは、いろいろあった。青木は立侯補をあきらめたし、大実業家になることもあきらめた。
今でも青木があきらめないものがあるとすれば、あるいは礼子のことであるかも知れない。けれども礼子は、長平が彼女をてんで相手にしなかったので、それをそッくり昔の亭主に返礼して、ちかごろでは、益々冷めたく、青木を相手にしなくなっている。
そのウップンを長平のところへ持っていこうという魂胆ではないけれども、彼の心にケイレンが起きたとすると、特効薬は長平のところへなんとなく泣きに行きたくなることである。
しかし、彼が京都行きの汽車にのりこんだのは、そのためだというわけではない。なにがなんだか分りやしない。めいめいの人間には、一生の誤差がつもりつもってゼンマイが狂い、一時にケイレンを起すような時があって、それかも知れないと青木は思った。
「つまりケイレンだな。病原不明のゼンソクみたいな、精神的アレルギー疾患なのさ」
人間は――すくなくとも彼自身は、年をとると、益々迷いが深くなるし、バカになるようだと青木は思わざるを得なかった。
彼は京都の長平の閑居へ早朝に辿りつくと、まるでわが家のように落ちつきはらって、
「なア。長平さんや。こうして古都の静かな侘び住居で、あんたの顔を見ると、なつかしいなア。余らも老い
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