、放二をともなって、自家用車にのった。
 二ヶ月前までは電車にもまれ、靴下のいたむのを気にしながら訪問記事をとって歩いていたせつ子であるが、自家用の高級車も板につき、衆目の指すところ、日本に於て最も傑出した女性の一人になりきっている。
 戦争の最中には、時間感覚の奇妙な崩壊が起ったものだ。勝っている時もそうであるし、負けている時もそうであった。シンガポールを占領したのは三四年前の出来事のように思われるのに、算えてみると、実は二ヶ月半ぐらいしか過ぎ去っていないのだ。ラバウルの危機、ラバウルへ飛行機を! そんなことを新聞が叫んでいたのは五年も前の遠いことのような気がする。サイパンが敵に占領されたのも去年の話のようだ、が、実は算えてみると、サイパンが陥ちてからまだ一ヶ月を経過せず、ラバウルの危機も今年の正月ごろの話なのだ。
 そういう時間感覚の喪失状態は空襲後は特に極端であった。下町がやられたのは三四年昔の出来事のようだが、まだ三ヶ月しか経っていず、山の手が灰になって一年も二年もの年月がたったように思うのに、実は十日ぐらいしか過ぎてやしない。
 自分の住む隣の町内がやられて三日もたつと、一年前から、隣り町はそんな焼け野原であったような気持になるのであった。
 駅前の繁華な商店街を、疎開で叩きつぶす。そこは三日前までは一パイの半ジョッキのビールのために毎日行列していたところだ。日毎の生活に何よりも親しかった街の姿がコツネンと消えて三日目には、遠い昔から、そこが今のような空地でしかなかったような気持になっているのだ。
 戦争が始まるまでは夢にも考えていなかった時間感覚の狂った喪失状態があらゆる人々に襲いかかったのである。
 戦争が終ってからは、尋常な感覚をとり戻したけれども、感覚異変は、まだ多少は残っている。
 そして、せつ子が自家用高級車を乗りまわして二ヶ月にしかならないのに、二年も前から、いや、もっと遠くて物の始まった昔から、せつ子がそうであったような気がしているのだ。
 戦争が人間感覚を麻痺させた詐術なのだが、うっかりすると、当人までそうとは気づかず、十年も廿年も前から自家用高級車をのりまわしていたと思いこんでいるような詐術にかかっているのじゃないかと放二は思った。常の世の成金の思いあがりとは違う。戦争という魔物のはたらいた詐術であり、時間の感覚の奇怪な喪失なのである。
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