君が上役なのさ。年の功で、月給だけは、ぼくがいただいてるらしいがね」
「ヘッヘ」
 なんとなく来てみたものの、放二に打ちあけて語る性質のものではないようだ。たかが小娘の出来心だ。とまどって人に相談しなければならないようなウブな初心者ではないはずであった。
 青木がとまどったのは、彼自身の獣性についてゞあった。そして、彼を獣性にかりたてる複雑な心理についてゞあった。
 彼の念頭にひらめく主要な人物は、記代子ではなくて、長平だ。また、礼子であり、せつ子であった。
 彼は復讐について考える。これほど簡にして要を得た復讐はない。そこで誘惑は激しいが、復讐というものは、空想された願望の中では人は極端に悪魔的でありうるけれど、現実のものになってみると、そう悪魔的ではありえないものだ。むしろ悪魔と闘う気持が激しくなる。
 青木は復讐の激しさや悲しさにとまどった。どうしていゝか、わからない。なにかに縋らなければ、胸の切なさを持ちこたえることができないようであった。
「なア。おッさんや。カストリだのパンパンてものは、妙なものだね。あなた、なんだと思う?」
「へえ。なんでしょう」
「神様ッてものは、ノドがかわいたり、ゲラゲラ笑ったりするものなんだぜ」
「そんなものですかねえ」
「そんなものなんだよ。すべてが具わったものでもないし、万能でもないのさ。そして、奴らは――奴らッてのは、神様のことだよ。奴ら、ノドがかわいたって、貴族の食卓へ行きやしないよ。カストリとパンパンを買いに行くんだ。ぼくみたいにね」
「ハア。あなた、神様だね」
「まア、そうさ。ノドがかわいてるし、ゲラゲラ笑いたいからね。なア、おッさんや。ぼくが北川放二君を信用しないと云ったら、あんた、怒るかい。だってさ。パンパンが彼を神様だの、ふるさとだのッて云いやがんだ。笑わせるな。ノドがかわいたり、ゲラゲラ笑わない奴、信用できるかッてのさ。甘ったれるな。ハッハ。しかしさ。カストリとパンパンは、甘ったれたところがネウチなんだぜ。笑わせやがら」
「笑いなよ。勝手に」
「お前さんなんかに、可愛がられたくないんだ。パンパンにもよ。バカヤロー。オレはパンパンに軽蔑されにきたんだ」

       十

「なア。放二さん。パンパン街の神様や。笑わせるな。気どるなッてんだ」
 青木はコップを握って、ゆれながら、放二に毒づいた。放二は黙っていた。
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