だからな、と間瀬をかゝへて立上つたが、間瀬がずり落ちてしまつたので、彼はひとり巧みな身振り腰つきでソロを始めた。宴席は荒れ果てて、各自が各自毎の焦点に拠り、他を見失つてゐる。青々軒が呼びにきて目配せをするので太平がついて出ると、キミ子とヒサゴ屋が玄関にをり、青々軒さんのうちで待つてゐてね、あとから行くわ、とキミ子がさゝやいた。すべてのものを打ち開けた激しい力がキミ子の目と小さなさゝやきの上を走つた。茫然とした太平は咄嗟に言葉を失ひ目で応じたが、するともうキミ子の姿は消えてゐた。
青々軒は一升瓶を持ちだしてきて茶碗酒をすゝめ、長火鉢でお好み焼を焼きながら義太夫を唸つてゐたが、太平は見合せた目と目のことを思ひつゞけて落附かなかつた。一瞬のためらひもなく即座に応じた自分の目のことを思ひだすと、そぶりにも見せなかつた浅はかな心が見すかされて苦しかつたが、今はもう一途にキミ子を待つてゐる自分の心に気づくのだつた。青々軒がすべてを知らぬ筈がないと考へると、それに関した意味の深い寸言を吐いて心の余裕を示したいと思つたが、実際の彼の心は徒らに空転するにすぎなかつた。
長い時間は待たなかつた。キミ子
前へ
次へ
全31ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング