ある黄昏に太平は銀座で舟木三郎に出会つた。そこで誘つて酒を飲むと、ふだんは無口で気の弱さうな舟木が妙にからんできて、君のやうな場違ひ者は外の適当な遊び場へ行つてはどうかといふ意味のことを、遠廻しの巧みな表現と品の良い皮肉をこめていひはじめた。
「君は善良な人であり、又、僕などの及ばない芸術家であるかも知れない。然し僕の芸術などは糊口のみすぎに過ぎないもので、僕の情熱は専ら現実の人生を作りだすことに熱狂してゐる。僕の人生の舞台衣裳はダンディといふことで、僕はフランスから帰るとき化粧品だけしか買つてこなかつた。そのころはドーランを塗つて銀座を歩いてゐたものだつたよ。君はそんな男を笑ふだらうな。ところが僕はすべて化粧の施されない世界を軽蔑と同時に憎んでもゐる。一つの小さな言葉ですら常に化粧を施して語られたいといふことを切実に希つてゐるのさ」
 それは太平の人柄が外形的よりも精神的に化粧を施されてゐないことに非難と皮肉を浴びせたものだ。けれども彼の言葉の奥の感情はキミ子をめぐり、そこから立ちのぼる嫉妬の濛気があつた。その嫉妬に値するだけの自惚が贔負目にもなかつたので、太平は呆れて、この男は圧し
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