に羽ばたく鳥であるやうな慌たゞしさで出かけるのだ。覚悟してゐた人々の悪意の視線は殆ど彼にそゝがれず、キミ子は以前と同様に床の間の席を彼にすゝめ、その席を占めてゐた間瀬がすこしもこだはらず立上つて、自ら太平にすゝめるのだつた。その朝太平が訪れた時はその沈鬱な顔色を一目見て姿を消して再び現れてこなかつたキミ子であるが、何事もなかつたやうな自由さで今は語り笑つてゐる。その凡庸な魂に巣食つてゐる一きは小癪《こしやく》な動物的な嗅覚を太平は憎まずにはゐられなかつた。太平の再度の現れを平然と迎へてゐる人々は、キミ子の心が再び太平に向けられないといふことを見抜いたからではあるまいかと思ふと、太平の心はすくみ、おだやかに席を譲つた間瀬の様子が彼を斬る最も鋭利な刃物のやうに思ひだされてくるのであつた。
 太平が便所へ立ち、濡縁へ出て、冬庭の暗闇の冷たさを全身に吸つてゐると、便所へ降りてきた花村が見つけて、
「落合さん。君は純な男だなア。僕は君が好きなんだ」
 花村は彼の手を握つて、大胆な率直さで、
「落合さん、あの女はてんで君の純粋な魂に値する立派なしろものぢやないんだよ。あんなものにこだはりたまふな。
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