この野郎!」
太平は仰向けに倒れ、その上に庄吉も重なつてゐたが、太平の顔を濡れた熱いものが流れるので、庄吉の涙が彼の顔に落ちてくるのだと思つたが、実は自分が泣いてゐた。庄吉の眼もうるんでゐるやうに思はれたが、彼は泣いてゐなかつた。
しばらくの後、二人は碁盤をはさんで元の位置に向き合つてゐた。
「碁をやらうか」
今度は太平の方からいふと、庄吉の目にやはらかな光がさして、
「落合さん、俺は君が憎めないのだ。俺は君が好きだ。君だけは今でも信頼してゐる。業《ごう》といふものだなア」
「業?」
「フッフッフ」
そのときになつて、庄吉の細い目から一しづくの涙が流れた。太平は慟哭したい気持をこらへで、かすかに身がふるへてゐた。
その日太平が帰るとき、キミ子が待つてゐるから又昔のやうに遊びに来てくれといふことを庄吉は繰返し言ふのであつた。その言葉を思ひだすと(否、その言葉は二六時中彼の耳から離れずに響いてゐた)二つの全く逆な心が同時に動きだすのであつた。一つはもう行くまいと思ふ心で、一つは行かずにはゐられない力であつた。
するともうその夕方にはキミ子の電話がかゝつてきた。太平は幸福のため
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