ゐた。
「死んでちやうだい、一しよに……」
 と再びキミ子が叫んだ。まつしろな顔と、幼い子供のひたむきな目が、再び太平の顔にまつすぐ据ゑつけられてゐた。けれども、その感情のどこかしらに奔放ないのちが失はれてゐた。そのひと月に二人をつなぐ情熱自体がうらぶれたしるし[#「しるし」に傍点]であるにすぎなかつた。
「生方さんに悪いからか」
「生方は本当に善い人よ。はらわたの一かけらまで純粋だけの人なのよ」
 すると太平の顔色が変つて、
「そんな人間がゐるものか!」
 と叫んでゐた。その目には憎悪が光つてゐた。するとキミ子の目も憎悪をこめて太平にそゝがれてゐた。太平はこの動物的な女の情慾の疲労の底から人間の価値が計量せられてゐることに全身的な反抗を覚えてゐたが、それがキミ子への愛情を本質的に否定してゐるものであるのを意識せずにゐられなかつた。二人はもはや愛撫の時も鬼の目と鬼の目だけで見合ふことしかできなかつた。
「もうあなたには会ひたくないわ。私の目のとゞかないところ、満洲へでも行つてしまつてちやうだいよ」
 やがてキミ子はさう言ひ残して庄吉のもとへ帰つて行つた。

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