せうよと、男達がほろ酔ひになり、青々軒が浪花節だの清元だのと唸つてゐると、舟木と間瀬と花村が跫音《あしおと》を乱してドヤドヤとなだれこんできた。彼等は泥酔してゐた。一座はまつたく乱れて連絡のない交驩《こうかん》、唄声が入り乱れてゐるうちに、わづかのキッカケで間瀬が太平に詰め寄つて、貴様は帰れ、と叫んでゐた。かねて間瀬の人柄を憎んでゐたヒサゴ屋が、太平に対する同情よりも個人的な怒りから立上つて、面白くねえ野郎だ、貴様ののさばるのが俺は何より嫌《きれ》えなんだ、と威勢はよいがよろけてゐる。同じやうによろけてゐる間瀬を兄貴分の花村が押へて、落合さん、俺は君が好きなんだ。俺は船乗りで海を眺めて暮してきたが、君は海に似てゐるなア。君はいゝ。君の横から太陽がでて沈んで行くのだ。吾は知らず、たゞ茫洋たり、といふやうだなア。間瀬が花村に飛びついたので喧嘩になるのかと思ふと、間瀬は肩に縋りついて泣きだした。その間瀬を花村は抱き起して、モン・ブラーヴ・オンム(好漢)マドロス・ダンスをやらうぢやないか。ハムブルグでもマルセーユでも我等の鋪甃《しきいし》を踏むところ酒と女と踊は太陽と一しよについて廻つてゐたのだからな、と間瀬をかゝへて立上つたが、間瀬がずり落ちてしまつたので、彼はひとり巧みな身振り腰つきでソロを始めた。宴席は荒れ果てて、各自が各自毎の焦点に拠り、他を見失つてゐる。青々軒が呼びにきて目配せをするので太平がついて出ると、キミ子とヒサゴ屋が玄関にをり、青々軒さんのうちで待つてゐてね、あとから行くわ、とキミ子がさゝやいた。すべてのものを打ち開けた激しい力がキミ子の目と小さなさゝやきの上を走つた。茫然とした太平は咄嗟に言葉を失ひ目で応じたが、するともうキミ子の姿は消えてゐた。
青々軒は一升瓶を持ちだしてきて茶碗酒をすゝめ、長火鉢でお好み焼を焼きながら義太夫を唸つてゐたが、太平は見合せた目と目のことを思ひつゞけて落附かなかつた。一瞬のためらひもなく即座に応じた自分の目のことを思ひだすと、そぶりにも見せなかつた浅はかな心が見すかされて苦しかつたが、今はもう一途にキミ子を待つてゐる自分の心に気づくのだつた。青々軒がすべてを知らぬ筈がないと考へると、それに関した意味の深い寸言を吐いて心の余裕を示したいと思つたが、実際の彼の心は徒らに空転するにすぎなかつた。
長い時間は待たなかつた。キミ子
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