ら間もなく舟木とキミ子は実際に行方をくらました。二人が服毒自殺をして、二人ながら命はとりとめたといふ新聞記事を見出したのは幾日かの後であつた。
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太平は毎日ねむつてゐた。眼をさましてゐたが、眼をさまして眠つてゐた。そして食事のためにだけ外へでる。億劫になると一日に一度しか食事にも出なかつた。
ある日外へでて、もう春も終らうとしてゐることに気がついた。まだ冬のつゞきのつもりでゐたのである。すべての樹々はまぶしいほどの新緑にあふれてゐた。
「驚いたなア」
彼はむせぶやうに新緑の香気を吸つた。彼の部屋には、まだ真冬の万年床が敷かれてゐた。
すると、唐突な初夏と同じやうに、突然キミ子が訪ねてきた。小型のトランクを一つぶらさげて。
「しばらく泊めてちやうだいよ」
キミ子は男が狂喜することを知つてゐた。その男を冷然と見下してゐる鬼の目がかくされてゐた。二人をつなぐ魂の糸はもはや一つも見当らず、太平はキミ子の肉体を貪るやうに愛撫して、牝犬を追ふ牡犬のやうな自分の姿を感じてゐた。キミ子の肉体すらもすでに他所々々《よそよそ》しかつたが、太平は芥溜《ごみため》をあさる犬のやうに掻きわけて美食をあさり、他所々々しさも鬼の目も顧慮しなかつた。陰鬱な狂つた情慾があるだけだつた。
庄吉が訪ねてくると困るからとキミ子は運送屋をつれてきて別のアパートへ引越させた。そこから多摩川が近かつた。キミ子は太平をうながして、二人は毎日釣りに行つた。
キミ子の腕はむきだされてゐた。キミ子のスカートは短かつた。靴下をつけてゐなかつた。キミ子の釣竿は青空に弧を描いたが、それはまつしろな腕が鋭く空を截《き》ることであり、水面に垂れたまつしろな脚がゆるやかに動くことであつた。二人は毎日ボートに乗つた。キミ子は仰向けにねころび、上流へ上流へと太平に漕がせた。上流へさかのぼるには異常な精力がいるのである。喉の渇きと疲労のために太平の全身は痛んでゐた。苦痛と疲労のさなかから目覚ましく生き返るのは情慾のみであつた。キミ子は髪の毛の上に両手を組み、目をとぢてゐた。まつしろな脚が時々にぶく向きを変へた。それを見すくめる太平の目は、情慾の息苦しさに、憎しみの色に変るのだ。乱れた呼吸が上体の屈折ごとに呻きとなつて歯からもれ、額の汗が目にしみた。河風が爽かであつた。
太平はキミ子のまつしろな脚
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