と腕とに小さな斑点をさがしもとめた。なぜなら太平はひと月あまり虱に悩まされてゐたからだつた。夜毎の痒さに堪へがたく、たぶん皮膚病であらうと思ひ薬をぬつた。ある日一匹の虱を見つけた。生れて初めて虱を見た。シャツや猿股を日向で見ると、日陰では認めがたい小さな虱が無数にゐた。卵も産みつけられてゐた。太平はそれをつぶすのが毎日の仕事であつた。太平は虱を咒つてゐた。けれどもキミ子の脚と腕には太平のさがす斑点がなかつた。
「君は虱に食はれなかつたか? 僕の寝床に虱がゐるんだぜ」
「虱ぐらゐ平気よ」
 キミ子は薄目をあけて平然と答へた。
「私は虱のいつぱいゐる家で育つたのよ。身体も、髪の毛も、虱だらけだつたわ。熱湯をそゝぐと、すぐ死ぬわ。いつか洗濯してあげるわね」
 太平は「可愛いゝ女」を見た。それは果実のやうな情慾を一そうそゝるのであつた。
 ボートを岸へつけて、二人は上流の叢《くさむら》に腰を下した。漕ぎ疲れた太平は全身がだるく、きしんでゐた。彼の掌は肉刺《まめ》が破れ、血と泥が黒くかたまりついてゐた。その肉刺の皮をむしりとり、泥をぬぐひ、痛さを測つてゐるうちに、憎しみと怒りに偽装せられた情慾がもはや堪へがたいものになつてゐた。彼はもう白日の下であることも、見通しの河原であることも怖れない気持になつた。見渡すと、ひろい河原に人影がなく、小さな叢が人目をさへぎる垣になつてゐることを悟つた。太平はキミ子を抱きよせた。ふはりと寄る一きれの布片のやうな軽さばかりを意識した。キミ子は待ちうけてゐたやうだつた。優しさと限りない情熱のみの別の女のやうだつた。キミ子は強烈な力で太平を抱きしめ、黒い土肌に惜しげもなく寝て、青空の光をいつぱい浴びて、目をとぢた。
 太平は再びキミ子の魔力に憑かれた不安で戦《おのの》いた。冬の夜更に脱がなかつた外套と同じやうに、青空の下で、キミ子は全ての力をこめて太平をだきしめ、そのまゝ共に地の底へ沈むやうな激しさで土肌に惜しみなく身体を横たへた。その強い腕の力がまだ生きてゐる手型のやうに太平の背に残つてゐた。
 いつ頃のことであつたか、あるとき花村が情慾と青空といふことをいつた。印度の港の郊外の原で十六の売笑婦と遊んだときの思ひ出で、青空の下の情慾ほど澄んだものはないといふ述懐だつた。すると舟木が横槍を入れて、情慾と青空か。どうやら電燈と天ぷらといふやうに月並ぢ
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