キミ子の目は、何物をも引きこむやうな一途なにぶい油ぎつた光にみたされてゐた。一途に思ひ決した幼い子供がこんな目附をすることがあるのを太平は思ひだした。
「死なうか」
 顔色がまつしろになり、目が益々はげしく見開らかれて太平の顔に据ゑつけられた。
「死にませうよ」
 太平は当惑した。愛情は常に死ぬためではなく生きるために努力されねばならないこと、死を純粋と見るのは間違ひで、生きぬくことの複雑さ不純さ自体が純粋ですらあることを静かな言葉で説明したいと思つたが、キミ子の心はさゝやかれてゐる言葉以外の何事をも見失つた一途なもので、少くとも感情の水位が太平よりも高かつたから、太平は低い水位から水を吹き上げることの無力さを感じることで苦しんだ。死をもてあそぶ感動の水位などは長い省察を裏切るだけでつまらぬことだと思ひながら、やつぱり水位の低いことが負《ひ》け目に思はれ、腹が立つてくるのであつた。キミ子は急に目をそらした。
 二人がひと月あまり遊び廻つて太平のアパートへ戻つてくると、庄吉からの手紙が彼等を待つてゐた。キミ子には帰つてくるやうに、太平には何事もなかつたつもりで又遊びに来て欲しいと書かれてゐた。
「死んでちやうだい、一しよに……」
 と再びキミ子が叫んだ。まつしろな顔と、幼い子供のひたむきな目が、再び太平の顔にまつすぐ据ゑつけられてゐた。けれども、その感情のどこかしらに奔放ないのちが失はれてゐた。そのひと月に二人をつなぐ情熱自体がうらぶれたしるし[#「しるし」に傍点]であるにすぎなかつた。
「生方さんに悪いからか」
「生方は本当に善い人よ。はらわたの一かけらまで純粋だけの人なのよ」
 すると太平の顔色が変つて、
「そんな人間がゐるものか!」
 と叫んでゐた。その目には憎悪が光つてゐた。するとキミ子の目も憎悪をこめて太平にそゝがれてゐた。太平はこの動物的な女の情慾の疲労の底から人間の価値が計量せられてゐることに全身的な反抗を覚えてゐたが、それがキミ子への愛情を本質的に否定してゐるものであるのを意識せずにゐられなかつた。二人はもはや愛撫の時も鬼の目と鬼の目だけで見合ふことしかできなかつた。
「もうあなたには会ひたくないわ。私の目のとゞかないところ、満洲へでも行つてしまつてちやうだいよ」
 やがてキミ子はさう言ひ残して庄吉のもとへ帰つて行つた。

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