生を遂ぐ況《いわん》や悪人をや、とはこの崖であり、この崖は神に通じる道ではあるが、然し、星の数ほどある悪人の中の何人だけが神に通じ得たか、それは私は知らないが、そして、又、私自身神サマにならうなどと夢にも考へてゐないけれども、孤独の性格の故に私は悪人を愛してをり、又、私自身が悪人でもあるのである。けれどもそれは孤独の性格の故であり、悪人の悪自体を正気で愛し得るものではない。
 文学とは人間の如何に生くべきかといふ孤独の曠野の遍歴の果実であり、この崖に立つ悪の華だが、悪自体ではない。
 私は悪人だから、悪事が厭だ。悪い自分が厭で厭でたまらないのだ。ナマの私が厭で不潔で汚くてけがらはしくて泣きたいのだ。私はできるなら自分をズタ/\に引き裂いてやりたい。そしてもし縫ひ直せるものならすこしでもましなやうに縫ひ直したい。
 私は自分を引きさいて少しでもましなものに縫ひ直さうと小説を書くのだけれども、私の本性までケチであり、職人の腕がだめだから、厭らしい浅ましい姿だけしか書けなくて私はいつも絶望の一足手前でふみとゞまつてゐるだけだ。
 私はナマ身の自分が嫌ひだから、ナマ身の他人、悪人も嫌ひだ。「ひ
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