るのみだつた。彼は執拗に和尚の祈祷を懇願した。
「定命はこれ定命で厶る。一切空と観じ、雑念あつては、成仏なり申さぬぞ」
和尚の答へは、いつもながら、それだけだつた。傍に瀕死の病人もなきが如く、ひねもす禅定三昧であつた。その大いなる趺坐《ふざ》僧の姿は、山寨《さんさい》を構へて妖術を使ふ蝦蟇のやうに物々しく取澄して、とりつく島もない思ひをさせた。
さりとて病状は一途に悪化を辿るばかりで、人力の施す術も見えないので、附添ひの男は、暇あるたびに、坐禅三昧の和尚の膝をゆさぶつて、法力の試みを懇請するほかに智慧の浮かぶゆとりはなかつた。ゆさぶる膝の手応へは太根を張つた大松の木の瘤かと思はれるばかり、なかなか微動を揺りだすことも絶望に見える有様であつた。
「生者は必滅のならひ。執着して、徒らに往生の素懐を乱さるるな」
和尚は俗人の執念を厭悪するものの如く、ときに不興をあらはして、言つた。さうして、膝をゆさぶられても、半眼をひらかうとすらしなかつた。
然し、和尚の顔色も、病者の悪化に競ひ立つて、日に日に光沢を失ひ、その逞しげな全身に、なんとなく衰への気が漂つた。
春がきて、巡業の一行が再び
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