ひは灘伊丹の酒男、あるひは江戸の奉公と様々であるが、所によつては、越後獅子の部落もあり、村廻りの神楽狂言芝居等を伝承するところもあつた。もとより正業は農であるが、副業も亦概ね世襲で、現今も尚このあたりには冬毎に芝居を巡業する部落がある。丈余の雪上に舞台を設へ、観客も亦雪原に筵をしき、持参の重箱をひらいて酒をのみながら見物する。木戸として特に規定の金額がないから、金銭を支払ふ者は甚だ稀で、通例米味噌野菜酒等を木戸銭に代へ、一族ひきつれて観覧にあつまる。演者はただひたすらに芝居を楽しむといふ風で、寒気厳烈の雪原とはいへさながらに春風駘蕩、「三年さきに勘平の男前の若い衆はどうなすつたね。女の子が夢中になつたものだつたが、達者かね」「あの野郎は嬶《かかあ》をもらつて、今年は休ましてもらひますだとの」などいふ会話が幕の間に舞台の上下で交はされる。座長と見える老爺など終生水呑百姓の見るからに武骨そのものの骨柄であるが、巧みに女形をしこなして優美哀切を極め、涙の袖をしぼらせること、いつの年も変りがないといふことである。
 折から一行のひとりに病人ができた。通りかかつた草庵をこれ幸ひに無心して病人を担
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