やらうめ)!」
 雲水の僧は矢庭《やにわ》に躍りかかつて、弁兆の口中へ燠を捩ぢ込むところであつた。弁兆は飛鳥の如くに身をひるがへして逃げてゐた。そのまま逐電して、再び行方は知れなかつた。

 雲水の僧は住持となつた。人|称《よ》んで呑火和尚と云つた。即ち団九郎狸であつた。懈怠《けたい》を憎み、ひたすら見性《けんしよう》成仏を念じて坐禅三昧に浸り、時に夜もすがら仏像を刻んで静寂な孤独を満喫した。
 村に久次といふしれものがあつた。大青道心の坐禅三昧を可笑しがり、法話の集ひのある夕辺、庫裏へ忍び、和尚の食餌へやたらと砥粉《とのこ》をふりまいておいた。砥粉をくらへば止めようと欲してもおのづと放屁して止める術がないといふ俗説があるのださうな。
 果して和尚は、開口一番、放屁の誘惑に狼狽した。臍下丹田に力を籠めれば、放屁の音量を大にするばかりであり、丹田の力をぬけば、心気顛倒して為すところを失ふばかりであつた。
「しばらく誦経致さう」
 和尚は腹痛を押へてやをら立上り、木魚の前に端坐した。優婆塞優婆夷《うばそくうばい》の合唱にかくれて、ひそかに始末する魂胆であつた。そこで先づ試みに一微風を漏脱し
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