く、返事もなかつた。四たび、五たび、訪客は次第に声を高らかにして、同じ訪ひを繰返したが、さながら木像に物言ふ如く、さらに手応への気配がなかつた。
さて、所在もなさに見廻せば、すでに屋根は傾いて、所々に隙間をつくり、また大空ののぞけて見える孔もあつた。雨の降る日は傘さしても間に合ふまいと思ひやられるのもことはり、畳はすでに苔むすばかりの有様であつた。長虫は処を得て這ひまはり、また翅虫《はむし》は澱みを幸ひ湧きむらがつて、人の棲家とも思へなかつた。さては和尚も苔むしたかと思はれるほど、その逞しく巨大な姿は谷底に崛起《くつき》する岩石めき、まるまると盛りあがる額も頬も、垢にすすけて、黒々と岩肌の光沢を放つばかりであつた。
訪客は縁先ににぢり寄つた。
「もし、和尚さま」
首を突き入れて、三たび、四たび繰返したが、声の通じた様子もなかつた。
たまりかねて、濡縁へ片膝をつき、這ひこむばかりの姿勢となつて、片腕を延して和尚の背中を揺らうとした。
「もし。和尚さま」
矢庭に彼はもんどり打つて、土の上にころがつてゐた。彼はそのとき、今のさつき目に見たことが、如何様に工夫しても、呑みこみかねる有
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