様であつた。
 後向きの姿ではあるが、不興げな翳が顔を掠めて走つたかと想像された一瞬間、たしかに和尚の姿がむくむくとふくれて、部屋いつぱいにひろがつたのを認めた筈であつたのである。
 腰骨の痛みも打忘れて、訪客は麓をさして逃げ帰つた。

 ある年、行暮れた旅人が、破れほうけた草庵を認めて立入り、旅寝の夢をむすんだ。
 すでに棲む人の姿はなく、壁は落ち、羽目板は外れて、夜風は身に泌《し》みて吹き渡り、床の隙間に雑草がのびて、風吹くたびにその首をふつた。
 深更、旅人はふとわが耳を疑りながら、目を覚した。その居る場所にすぐ近く、人々のざわめきの声がするのであつた。それは遠くひろびろと笑ひどよめく音にもきこえ、またすぐ近くあまたの人が声を殺して笑ひさざめく音にもきこえた。
 旅人は音する方へにぢり寄つた。壁の孔を手探りにして、ひそかに覗いた。さうして、そこに、わが眼を疑る光景を見た。
 そこは広大な伽藍であつた。どのあたりから射してくる光とも分らないが、幽かに漂ふ明るさによつては、奥の深さ、天井の高さが、どの程度とも知りやうがない。さて、広大な伽藍いつぱい、無数の小坊主が膝つき交へて蠢いてゐ
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