荒天のうねりの高く砕け狂う日も同じことで、平々凡々にでかけて行くだけのことである。大謀網《だいぼうあみ》をあげに行くのだ。
同じころ、あるいは、もう一時間早く、近海へ漁にでる棒受け網が出陣する。
烏賊虎さんは棒受け網の小頭で、漁期は連日朝の二時にでゝ、夜の十時に帰る。家でねむることはない。黙って家へ戻ってきて、手拭をとって銭湯へ行き、なんとなく四時間たって、だまって出かけるだけである。彼らが魚に同化する理がわかるであろう。遠洋へ漁にでると、一ヶ月、マグロなら二ヶ月の余も、海の上で暮すのである。せいぜい四十トンぐらいの船。たった四畳半ぐらいの一室で三十人ぐらいの人々が眠るのである。水のほかには自分たちの食物として米と塩を積むだけで精一パイだ。彼らはただガムシャラに魚を追う。ひねもす、魚を追う。それが彼らの一生だ。彼らの親も、その親も、その又親も、ズッとそうであった。そして彼らは、海水でといだ御飯が陸上の御飯のくらべものにならないほど美味であることを知り、釣りたての生きた魚には魚の臭気がなくて、かみしめる肉に甘さがこもり、人にたべてもろうための心尽しの数々がこもっていることを知って満足
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