である。どんな親しい間柄でも、黙って往来をすれちがう。頭も下げない。彼らは魚に同化して、ムダなことは喋らなくなっているらしい。魚が挨拶したら、おかしなものだ。鯛のような人もいるし、ヒラメのようなジイサンもいる。アンコーにそっくりのオッサンもいるし、イワシのような娘もいる。ヒラメ族というものが、すべて一律にただヒラメであって、太郎ヒラメでも花子ヒラメでもないように、彼らにとって、人間族は一律にただ人間であって、その絶対の信頼感と同族感が漁師町に溢れているのである。
そして漁師は魚よりも、かしこくて、おだやかである。私は伊東市の半分、温泉町ではよその土地からまぎれこんだ地廻りたちがケンカするのを見たが、あとの半分の漁師町では永久にケンカがないことを知った。若い漁師のたくましい筋骨はあげて風浪との闘いに捧げられ、同族に向って手をあげるなぞは思いもよらないことなのだ。平和な、そして、あたたかい町。
朝の三時には、もうホラガイが暗い海面をなりわたる。百人あまりの若い人たちが各々の家からとびだしてくる。彼らをのせた十ほどの小舟が親船にひかれて、走り去る。なんの怒号もなければ、劇的な動作もない。
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