であってもよい。そして、その肝臓の碑面には、ハズカシナガラ、小生の詩がきざまれていることを、小さな声で白状しておこう。詩作の情熱は高鳴っても、詩の体となすべき言句にウンチクがないから、ピカドンの徒は詩はダメです。
しかり、しかして、肝臓先生とは何者であるか。それを語るべき光栄ある時間がせまってきたが、それは私が語るのではなく、烏賊虎さんが語るのだ。私はそれを私流儀の文章に要約しただけのことだ。以下、文中、私とあるのは烏賊虎さんである。
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赤城先生の生国がどこか、市役所の戸籍係にしらべてもらわないと、わからない。伊東の生れでないことだけは確かであるが、この町は旅の人にはなれているし、魚も年中旅をしているものだから、誰も人の生国などを気にかけないのである。
先生は東京の医者の学校の物療科というところを出た人だ。これだけは、みんなが知っている。なぜなら、その物療科をつくった恩師の大先生を神のごとくに讃えて、万事につけて恩師の高徳に似たいというのが先生の念願だからである。恩師の大先生は大学教授のくせに博士号をもたなかった変り者であるから、先生も医学博士にはなるこ
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