タ迷惑だったわけです」
 これは笑えない悲劇である。しかし赤城風雨先生の生涯が全部笑えない悲劇であった。悲痛でもあるし、滑稽でもある。肝臓先生――イヤ、それは信者の云うことで、町一般では、肝臓医者、これが赤城先生のアダ名だ。もって知るべし。
 友人Qがノミをふるって巨大な肝臓を創造し――胃腸と心臓をモデルにつくった肝臓のバケモノが創造中の創造でなくて何物だろう! これを街路の片隅へほッたらかして肝臓先生の高徳をケンショウしようというのは、一見、肝臓医者などゝ言いたてた全市の悪漢どもに復讐しようとの悪趣味が感じられるが、肝臓先生の一生を知るに至って、その然らざるユエンがわかるのである。まったくQはヤケを起したわけではない。胃腸と心臓を見て肝臓をつくったQは、そこに深い感慨と、芸術家の遭遇するコントンとして、又、わりきれた、ある天啓があったのかも知れない。私は今や、そう信ずるのである。
 諸君は伊東市の街路のいずこかに、Qのつくった巨大な肝臓を見ることができるはずだ。伊東市のどこ、どの街角ということをシテキすることはできない。それは名もない片隅だ。それでいゝのだ。そして又、街のいたるところ
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