かしい気分をよびさましていただき、本日は矢も楯もたまらず参りましたが、大先生の晴れやかなお顔を拝し、又、三河教授の日夜お忙しいのに御健康そのもののお顔を拝したり、先輩の先生方や、医局の先生方にもお目にかかれて、私も十五六年は若返った思いにうたれ、今浦島の感なきを得ないのであります。この席から厚く御礼申上げます」
こう云って先生は一礼ののち、
「さて、次に、ひとつ、お願いがございますが、昭和七年満州事変以来、ポツポツ亜黄疸《あおうだん》の患者があって肝臓肥大に気付くようになりましたが、その当時はちょッとフシギと思った程度で、たいして気にも留めませんでした。ところが、昭和十二年末ごろから、年々かような患者を見うけることが急速に、かつ、非常に多くなって、殊に感冒患者はほとんど肝臓肥大で圧痛あることが普通のこととなったのであります。そこでこの四五年というものは、アナタも肝臓がわるい、アナタも、アナタも、と言わざるを得ないものですから、あの医者は肝臓医者だ、あそこへ行くと、みんな肝臓にされてしもう、こう言って呆れてほかの医者へ転じてしもう人も多くなりましたが、又一方には、遠路はるばる宿をもとめて肝臓の診察を乞う人もあり、うれしい思いをさせられる折もあります。ちかごろに至りましては流感の患者、肺炎の患者、胃腸の患者の八九十%以上に、肝臓の肥大圧痛が触診されるのでありまして、昭和十二年末から現在まで、二千例あるいはそれ以上かような患者を扱ったのですが、これらを集約して、私は流行性肝臓炎とか流感性肝臓炎とか名づけて然るべき病気ではないかと思っているのであります。支那大陸から持ちこまれた流感に関係があるのではないかと思っております。いずれに致しましても、かように多くの患者に向って、アナタも肝臓である、アナタも、アナタも、と申しましては、患者の中にはインチキと思う人もあり、同業者までインチキ視しまして、あれはフランスの医者であるとか、赤城氏性肝臓炎とか言いふらし、かくては当物療科の名誉を傷け、大先生の御恩にも背き、温泉療養所の先生方の目ざましい功績までも汚すことになるのではないかと心から恐れているのであります。それでお願いと申しますのは、この事実を申上げて篤学の皆様方の御研究の参考になって欲しいと祈るものでございます。謝恩会の席をかりまして、皆々様の御関心御研究をひたすらお願い致す次第であります」
先生がこう云って座につこうとすると、言葉も終らないかにスックと立ったのは長崎医大の角尾教授である。この教授はその後原子爆弾で死なれた由である。
「ただ今の赤城先生のお話は感動と尊敬をもっておききしました。人口いくばくもない辺地の診察室で、この事実に着目して診療に当っていられることは、同氏の研究熱心と、深い学識と、医師としての良心を証して余りあるものであります。戦争以来、特に最近年に至って肝臓疾患が激増しつつあるのは事実であり、今や我々は、診療に当って、尿や便を検査すると同様に、あらゆる患者の肝臓を診る必要があるのであります。赤城先生のお話がありましたので、私からも、一言この点を御参考までに申上げる次第です」
先生は感動に目がくらみ、夢中に立ち上って、
「はからずも角尾先生の御激励のお言葉をいただき、孤島にひとり配所の月を眺めてくらす肝臓医者たるもの、閉ざされた冬の心に春の陽射しの訪れをうけた思いが致します。診療に当り尿や便の検査同様、肝臓を診よとのお言葉は、われわれ臨床家の金言となすべきもの、心に銘記して、終生忘れません。まことに、ありがとうございました」
こう云って先生が座につくと、又一人、スックと立った人がある。九条武子の建設した「あそか病院」の院長、大角先生である。
「ただ今のお話は、私もこの日頃痛感しておりました事実で、近年の流感患者はすべて肝臓疾患あるものとみてよろしいようです。前にスペインカゼが流行の折も、肝臓肥大ならびに圧痛があって、これが今日残っている人があり、こういう患者に、あなたはスペインカゼをやりましたね、ときいてみれば、先ずこの推定に狂いのないことが分るのであります」
大角院長はズバリとこう言って席についたが、これは赤城先生の日常最も経験していたことだから、その感動、感謝、涙を流さんばかりである。あまりのことに、感謝すべき言葉もなく、ただ立ち上って、
「まことに、ありがとうございました」
それが、精一パイであった。
そのとき恩師の大先生は、破顔一笑、
「今日の座長は私ではなくて、完全に赤城風雨先生だったね」
と、やさしい目で赤城先生を見られた。赤城先生は穴にはいりたい思いをしたが、長崎医大の角尾教授、あそか病院の大角院長、いずれも肝臓に関する権威者であるから、その賛成と激励を得て、千万の味方を得た思い、心の奥深く
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