感想家の生れでるために
坂口安吾
文芸時評はない方がよい。下品で、不潔俗悪で、百害あるのみだからである。文芸時評というものの性質が百害あるわけじゃなく、これを手がける作家の態度が卑屈俗悪だからである。
仲間の作品批評になると点が甘くなる。党派に依存するさもしさで、文学は常に一人一党だ。
芸術派は小党分立、ともかく党派的にシノギをけずるところもあるが、左翼となると論外で、自分の方は頬カムリ主義だから、ろくな作品が生れる筈はない。尤も五十歩百歩、小党であれ大党であれ、党派に依存する根性の存する限り、又、党派を設定する根性の存する限り、そのことが反文学だから、本当の文学作品が生れる筈はない。
批評家の批評となると、これが又ひどい。四十代だの三十代だの、呆れ果てた分類を発案する。
平野謙の如くに一人の作家を論ずるに必ず系列というものをデッチあげて、御丁寧に党派を組ましてくれるのもある。まったく、苦心、痛々しい。そんなにまで、苦心、発案、皿に一山ずつ盛り分けて定価をつけるようなことをして、御本人は文学を割り切って清々しているのかも知れないが、まるでもう文学と根柢から違ったところで、文
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