学の幻影と格闘しているだけだ。
文学者、作家というものは存在するが、批評家なんてものは文学者の中に有りやしない。
批評家なんてものじゃなく、感想家というものは有ってもよいと私は思う。
感想家は、文学者、作家じゃない。思想家でもない。つまり読者の代表だ。大読者とでも言ってよかろう。
文学作品を読むのが好きで堪らない、文学の読書が何よりも好きだ、そういう人が謙虚に自らの読書感想を語るのである。
感想がなければ語らぬがよい。ありもしない感想をあるが如くに語ろうとするから、四十代三十代、分類、系列、苦心サンタン、妖怪を描きだしてしまうので、無理な背延びをしてはいけない。
小説を書くことが他の何物よりも好きで堪らぬ作家と、小説を読むことが他の何物よりも好きで堪らぬ感想家と、この二つは在ってもよい。
感想家、大読書家は当然ひとり楽しむ世界だから、これ又、一人一党、ただ自らの感想があるべきのみで、党派的読書家などというものは有り得ない。
こういう読書家の感想ならば、文学の品格を浄化もでき、高めもするであろう。批評家というバケモノは消えてなくならねばいけない。それから党派根性がなくなら
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