との肉体の交渉なぞは毛頭想像の余地がないばかりか、潜在的な姦淫の焔がちらちらと洩れ、それが却つて彼の姿を悲しいものに思はせるのであつた。けれども紅庵自身の方はさういふ風に寛いで、気楽に陽気に喋つてゐるのがひどく愉しい様子だつた。夜がくるまで全く落付いて喋つてゐたが、夕食が終ると又もや半ばうろたえながら帰つていつた。
同じやうな日が四五日続いたのちの一日、紅庵が同じやうなうろたえ気味で帰つてしまつた後になつて、蕗子は伊東伴作に言つた。
「引越さして下さらない? ここは気兼ねがあつて厭だわ」
「家が一軒欲しいのか?」
「いいえ、一部屋でいいの。ここでさへなければどんな汚い部屋でもいいわ」
伊東伴作は考へた。一人の女に執着を持ちはじめた男の鋭敏な感覚によつて、引越しの提案がなんらかの点に於て彼に甘へる意味を持ち、同時になんらかの点に於て雨宮紅庵につながる意味があると思つた。紅庵に対して幽かながらも日増しに冷淡の度を加へるらしい蕗子の気配を、その日までにそれとなく気付いてゐたのだ。なんとなく甘へるやうな蕗子の様子から判断して、雨宮紅庵のことはとにかく、引越の理由に就てもつと刳《えぐ》られる
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