一つ言へないやうな男だつた、さうして然《そ》ういふ多彩にして溌剌たる世界には多分に没交渉な生活を営んでゐるが、それを充分知つてゐる筈の雨宮紅庵が、臆する気配も見せず斯《こ》ういふことを切りだしたので吃驚《びつくり》した。
「いや、たつてといふわけぢやないんだ」と、紅庵は再び表面《うわべ》だけもぢ/\とためらふ気振《けぶり》をみせたが、
「別の部屋で、ちよつと君に話したいことがあるんだけど……」
と言つた。そこで二人は別室へ這入つた。
「あの人は君の恋人か?」と、別室で二人になると伊東伴作はまづ訊ねた。
「いや、さういふものではない」と、わざと周章《あわ》てたやうな吃り方で紅庵が答へた。
ただかねて知りあひの女であるといふだけで、恋愛の交渉は微塵もなく、また、心底ひそかに燃やしてゐるといふ気持さへないのだと雨宮紅俺は同じことを繰返し繰返しくど/\と述べた。まるで故意に言はでもの言訳をするやうなくどさにも見えた。くどさを愉しむやうな秘密臭い厭味も感じられた。そのくせ、ただかねて知りあひの女であるといふ他には、どういふ筋の知りあひで、どこの誰といふことさへハッキリ言はうとしなかつた。つま
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