、音楽、何を語らしてもとにかく相当の見識はあるのであつて、手相指紋骨相なぞにも玄人めいた蘊蓄があるかと思へば天文地質生物学なぞといふものに凝つてみたり、今時には珍らしく漢詩に精通してゐると思ふと二ヶ国ぐらゐの横文字も読めるといふ風に、とにかくその趣味は多方面にわたり、かつその全生活が趣味以上にでなかつた。趣味以上にでるためには必然その道に殉ずる底《てい》の馬鹿も演じとかくの批判も受けなければならないのが阿呆らしくもあり怖ろしくもある様子にみえた。人の弱身に親身の思ひやりがあり且甚だ誠実であるといふので、窮迫の時も友達に厭やがられず愛されたものだが、その誠実や思ひやりの由来するところは、要するに人の慾念の醜さを充分に知悉し自身もその慾念に絶えず悩まされてはゐるが、さうして慾念を露出しそれに溺れる人生こそ生き甲斐のあるものではないかと考へてみるが、自身は世間に当然許された破戒さへ為《し》でかす勇気がないといふ、自意識過剰の逃避性からきてゐるやうにも思はれた。
「ダンス?」伊東伴作は鸚鵡返しに怪訝さうな面持をして呟いた。
 伊東伴作はダンスホールに縁遠い人柄で、酔つ払ひでもしなかつたら冗談口
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