の情痴の世界に展開してくるといふやうな円融|無碍《むげ》の神通力を心得ており、同様に自分の恋情を他人の情事の姿に於てもとにかく不充分ながら満しうるといふやうな、他人の色事を垣間見て無上の法悦を覚える底の摩訶不思議の性能を具へてゐるのかも知れなかつた。
それにしても頼りないのは蕗子その人の気質であり心事であつた。はつきりした自分のものといふ信念なり考へなりがあるのやらないのやら、どうにも確《しつか》りした心棒といふものが皆目見当らない感じで、甚だ頼りないのだつた。けれども然ういふ心許ない女の姿が、その人に執着を持ちはじめた男にとつて却つて可憐な風情を添え、並ならぬ魅力を発揮することもあるやうに、伊東伴作の仇心もやや執着に変りはじめてゐたのだつた。
蕗子の甚だ頼りない有様といへば、たとへばその日改まつて斯ういふことを切りだしたのである。
「自分で独立できるやうな商売を始めさせて下さらない? どんな商売でもいいわ」
蕗子の顔は真剣だつた。
「いつまでこんな風ぢや心細いわ。自分で自分の生活だけはやつてけるやうにしておきたいの。洋裁でも美容術でも写真でもタイプライタアでもなんでもいいわ。一
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