まで無意識のうちに気付いてはゐたが別段それを明瞭な形にまとめあげる機縁もなく必要もなかつた雨宮紅庵の裏面の姿が、一気に歴々と浮きでたやうな思ひがした。伊東伴作の記憶を辿れば、雨宮紅庵が蕗子に関心を持ちだしたのは一年以上も昔のことにさかのぼる。実際はそれ以上の、恐らく紅庵が始めて蕗子を見た時間から彼の秘密の姦淫は育ちはじめたと見ることもできよう。あの頃のことを思ひだすと、紅庵は蕗子のことを語るたびに、蕗子が自分に気のあるやうな、殆んど蕗子に口説かれかねない形勢にでもあるやうなひどく思はせぶりな話し方をするかと思ふと、蕗子の正体が白痴のやうに単純で余りにナイーヴであるために、内にあふるるやうな肉感を蔵してゐてもなんとも可憐でたうてい手なぞはつけられないのだと妙に泌々《しみじみ》言ひだしたり、そんなことを言つてるうちに自分の感傷にひきづられた形で、今迄の凡そ官能的な話とは逆に今度はひどく精神的なことばかりを殆んど支離滅裂に言ひ強めたりするのだつた。けれどもたとへば蕗子に一本の煙草を渡された時の、その真つ白な、腐肉のやうな光沢をたたへた、柔軟な鞭のやうな一本の腕について語りだすところの精密な描
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