忽ち部屋がみつかつたので、雨宮の知らないうちに其処へ移つた。雨宮が面喰つて訪ねてきたら、実は昔のない生活を始めたいといふ女の希望であり自分の考へもさうだから、暫く蕗子の生活から遠距《とおざ》かつてくれるやうにと正直に打開けて話すつもりであつた。ところが秘密の引越しが、雨宮紅庵の内攻に疲れた尖鋭な神経に応へたものか、それつきり音沙汰がなく、却つて伊東伴作の方で気に病みだして、定めし一人で悒鬱《ゆううつ》がつてゐることだらうが訪ねて来ればいいものをと待ち構えてゐても、全く姿を見せなかつた。くさつてゐるに違ひなかつた。
 ところが二週間とたたないうちに、今度は逆な出来事が起きた。伊東伴作の知らないうちに蕗子がほかへ引越してしまつた。さうして行き先が分らなかつた。

          ★

 アパアトの管理人の話をきくと、引越しには一人の男が手伝ひに来て何くれと世話をしてゐたと言ふのだつた。男の眼付がひどく窪んだ感じであつて頬骨がひどく目立つ顔付だつたといふ話や、絣《かすり》の着物で帽子を阿弥陀に被つてゐたといふ話から考へてみると、そつくり雨宮紅庵に当てはまる人柄としか思はれなかつた。そこへ
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