雑を極めた縺《もつ》れかたで尻尾をだしてゐるやうに見え、それを思ふと伊東伴作は悒鬱だつた。どの程度に蕗子を好きかは分らないが、彼に隠してアパアトへ越してからの紅庵のうろたへ様は目にみえるやうで、その紅庵が思ひ余つた揚句、こんどは逆に伴作に隠して女を引越さしたとはいふものの、隠しきれずに斯うしてのこ/\現れてくる姿を思ふと益々伊東伴作の悒鬱は深まつた。悒鬱ついでに蕗子と手を切つてしまはうかと考へたりしたが、肉の執着に代えてまで悒鬱と心中する気持にはなりきれるものでなかつた。肉の執着がはつきり分ると生半可の悒鬱は消え失せて、紅庵の姿が莫迦々々しく思はれてきたばかりか彼の遣り口が改めて癪にさはつてきたりした。
「どういふわけで唐突に引越す必要があつたのだ?」と伴作は訊ねた。
「実はね、あの人のうちの方であの住所に気付いた形勢があつたんだ。僕でさへ知らなかつた住所に気付くのは可笑しいと思ふかも知れないが、偶然気付く理由があつたんだ」
「それならなにも僕のあとをつけて住所を突きとめるやうな面倒をするまでもなく、僕に相談してくれた方が早道の筈ぢやないか」
「君の言ふことは理窟だよ。当然さうすべきやうな事柄でも、案外さうもできない事情といふものがあるものだよ。元はといへば女を連れだした僕から起きたことなんだから、君に面倒をかけずに僕の手でなんとかしようとしたことも一因なんだ。とにかく僕は君とあの人の関係がそこまでいつてゐることに気付かなかつたものだから」
それ以上のことになると巧みに言を左右にして、急に音楽を論じたりしながら全てを有耶無耶《うやむや》に誤魔化し去つたが、忙しいからと言つて匆々《そうそう》に腰をあげ、蕗子の住所だけ知らせて帰つていつた。
新らしい下宿を訪ねてみると、谷底のやうな窪地の恐ろしく汚い家の二階だつた。階下には軍隊手袋を内職にしてゐる婆さんが脇目もふらずに仕事をしてゐた。その連合《つれあい》は郵便局の集金人で、ほかに家族はないさうだつた。
過失を怖れ怯えた様子で出てくるものと思つた蕗子が、顔には単純な喜悦のみを漲らし、喜びの叫びをあげて飛びだしてきたので、伊東伴作は面喰つた。
「どんなに待つてたか知れないわ。どうして早く来て下さらなかつたの?」
と、蕗子は声をはづませて言つた。
「漸く今しがた居所が分つたやうな次第ぢやないか。紅庵はとつくに居所を知ら
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