せたやうに言つてたのかい?」
「いいえ、さうも言はないけど、雨宮さんは昨日から姿を見せないもの」
「雨宮は何も話さないが、周章てて引越したほんとの理由はどういふところにあるんだい? あの男は有耶無耶の誤魔化しばかり言つてゐて、僕には皆目のみこめないのだ」
蕗子は表情の失せた顔付をして暫く黙つてゐたが、
「みんな言つてしまふわね。隠してゐると気持が悪いわ」と言つた。さうは言つたものの又暫くためらつたのち、
「憤慨しないで下さいね」前置きして語りはじめた。
「ほんとは私にハズがあるの。ハズのところから逃げだしてきたのよ。ところが雨宮さんはあのアパアトにハズの友達がゐるつて言ふの。雨宮さんは私があのアパアトにゐることを知らずに、お友達のところへ遊びにきたんですつて。そしたらそのお友達が同じアパアトに私のゐることに気付いてゐて不思議がつてゐたつて言ふのよ。そこであのアパアトにゐたんぢやおそかれ早かれハズの耳にも伝はるからと言ふので、その人の留守のうちに一時も早く越した方がいいと言つて、あたしもすつかり面喰つてその気になつたの。その朝のうちに忽ち此処へ越してきたのよ」
「アパアトに友達がゐるなんて、そんなことは大嘘だ。紅庵は僕の後をつけてきてあのアパアトを突きとめたのだ」
「そんなことかも知れないわね。きつと黙つて引越したのが癪にさはつて、こんな悪戯をしたのでせうよ。やりかねないことだわ」
と、なんとなく神経の鈍い感じのする蕗子がそれとなく紅庵のからくりを勘づいてゐたらしい口振も伊東伴作の予期せぬところで、いささか彼を驚かしたが、幾分ためらつたのち続いて蕗子の言ひだした言葉は愈々伴作を面喰はした。
「あの人のすることはなんとなく秘密くさくつて割りきれないものがあるやうだわ。人の知らないところで、しよつちうコソ/\企らんでることがあるやうな感じよ。あたしに家出をさせたのなんかも、近頃考へてみると、なんだか企らみがあるやうで気味が悪いわ」
「紅庵がわざ/\君に家出をさせたんだつて!」
「さうなのよ。いつたい私のハズつてのが性的無能者なの。酔つ払ふと誰にでもその話をして泣きだしちやふから、雨宮さんもそのことを知つてゐたわけよ。もうかれこれ一年近くになるんだけど、ハズが無能者だつてことが分つて以来――これは近頃思ひ当つたのよ、雨宮さんの遊びに来かたが頻繁になつたし、それに、私や私
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