ゝさ、秀次は陰気な顔をそむけたばかりで、却つて帰洛の予定を延して旅寝の陰鬱な遊興に沈湎した。
京大坂で豪華な日夜をくりひろげてゐる秀吉は、然し凋落の跫音《あしおと》に戦いてゐた。朝鮮出兵の悔恨が、虚勢の裏側で暗い陰をひろげてゐる。その結末の収束と責任と暗い予感が虫のやうに食ひこんでゐた。たゞ成行にまかせて成算も見透しも計画すらもないこと、彼はそれを誰に咎められることもなく怖れる必要もなかつたが、何物かに、怖れずにゐられなかつた。それが先づぬきさしならぬ凋落であつた。
如何にして秀頼に関白を譲らせるか。勢運の秀吉は我慾を通す必要がなく、人々がおのづから我慾をみたしてくれたが、凋落の秀吉は我慾と争ひ、否応なく小さな自分を見つめなければならなかつた。自制の鎖は断ち切れようとし、我慾の中に明滅する小さな自分の姿に怖れた。然し、秀吉の小さな惨めな人間をさらに冷めたく凝視してゐる一人の青年がゐたのだ。秀次であつた。
秀次は関白になることなどは考へてゐなかつた。彼は秀吉の養子のうちで最も秀吉に愛されてをらず、十七の年には長久手の合戦に家来を置き去りに逃げ延びて、秀吉の怒りにふれて殺す命を助けて
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