すたび日に幾度となくギャアと泣いて気を失ふ。食事も喉を通らず、たまたま茶碗をとりあげても、鶴松を思ひだすと茶碗をポロリととり落してこぼれた御飯へ顔を突つこみギャアと泣いて俯伏《うつぶ》してしまふ。
 お通夜の席で秀吉は黙祷の途中にやにはに狂気の如く髷《まげ》を切つてなきがらにさゝげて泣きふした。つゞいて焼香の家康が黙祷を終つて小束《こづか》をぬいて大きな手で頭を抑へてヂョリヂョリとやりだしたので一座の面々目を見合せた。各々覚悟をかためて焼香のたびに髷をきる。天下の公卿諸侯が一夜にザンバラ髪になり、童の霊前には髷の山がきづかれた。
 秀吉は翌朝有馬温泉へ発つた。家にゐては思ひだして、たまらない。秀吉が頭を円めて諸国遍歴に旅立つさうだといふ噂が世上に流れた。有馬の滞在三週間、帰城して即日朝鮮遠征のふれをだした。悲しみに気が狂つて朝鮮遠征をやりだしたと大名共まで疑つたほどだ。
 朝鮮軍は鉄砲を持たないから戦争は一方的で京城まで抵抗らしい抵抗もなく平地を走るやうなものであつたが、明の援軍が到着すると、さうはいかない。対峙して一進一退、戦局は停頓する。日本海軍は朝鮮海軍の亀甲戦術に大敗北、京城への海路輸送の制海権を失つたから、釜山航路がひとつだけ、こゝへ陸揚げして陸路京城へ運送するには車が足りない馬が足りない人手が足りない。日本軍の過ぎるところ掠奪暴行、威令は行はれず、統治管理の方針がないので、人民は逃避して、畑には耕す者がなく、町々の家屋には人影がなく、徴発の食糧も人手もなかつた。全軍栄養失調で、太平洋の孤島へ進出した日本軍と同じこと、冬があるだけ苦痛が一つ多かつた。
 始めのうちは名護屋へつめて戦果に酔つてゐた秀吉も、一度京坂の地へ引きあげると、もう名護屋へ戻る気がしなかつた。西の空を思ひだしても不快であつた。
 秀頼が生れた。
 生れた秀頼をいつぺん捨子にして拾ひあげるのは長生きの迷信で、拾つた子供だから俺の子供ではない、そもじもさう思はねばならぬと淀君へ宛てゝくどく手紙をかく秀吉であつた。閻魔をだますに余念もなく、子への盲愛が他の一切の情熱に変つた。
 秀吉の切望は秀次の関白を秀頼に譲らせたいといふことだ。生れたばかりの秀頼を秀次の娘(これも生れたばかり)と許婚の約をむすばせる。そのとき秀次は熱海に湯治の最中であつた。そこへ使者がきて秀吉の旨を伝へたが、勝手にするがい
前へ 次へ
全10ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング