疑つたら、彼は気違ひになりさうだ。そして秀吉が疑ることを考へると殺したいほど憎かつた。秀吉の数日の滞在を慰めるための催しも、饗宴の食物も、彼は一々指図した。彼は心をこめてゐた。熱中した。そして苛立つ毎日に人を殺したくなるのであつたが、太閤がそれを好まぬことを知ると、それも我慢するのであつた。
秀吉は饗宴に応じ、連日のもてなしに満足したが、異変にそなへて部屋々々には武器をかくした秀吉の軍兵たちがつめてゐた。三日目の夜、狂言の舞台を移すために人足達が立騒いだとき、町の人々はたうとうやつたと考へた。
秀吉は名護屋で能の稽古をはじめた。人見知りせずやりたてる流儀であるから長足の進歩をとげ、秀吉自身も案外な上達ぶりであつた。得意想ふべし、暇さへあれば稽古に余念がなく、天覧に供し、大名に見せ、妻妾侍女に見せ、果は京都の町家の女子衆も一人あまさず悩殺してやらうといふので一般に公開して見物させ、頻りの興行、ほめる者には即座に着てゐる着物まで脱いでくれてやる。彼の「芸術」への情熱と没入は言ふまでもなく余技であり趣味であり冗談ごとですらあつたのに、所詮うぬぼれは自尊心で、秘められた凋落の不安と自信の喪失は、冗談ごとのうぬぼれにいはれのない奇妙ないのちをこめてゐた。
大坂城で能の興行が行はれ、秀次も招ぜられて出席した。秀吉の仕舞は喝采をあびたが、もとめに応じて立上つた秀次の演技は更に満座の嘆賞をさらつた。秀次は特別仕舞に巧者であり、我流の秀吉や武骨な大名どもに比べれば雲泥のみがきのかゝつた芸だつた。太閤の不満と嫉妬と憎しみはかきたてられ、その眼の底に隠しきれずに氷つてゐた。つゞいて織田信雄がもとめられて演じたが、信雄は信長の遺子であり、怖れを知らぬ青年の頃は家康と結んで秀吉と戦ひ、後に厭まれて秋田へ流され、家門の尊貴のみによつては自立し得ざる力の世界、現実の冷めたさを見つめてきた。今は召されて秀吉のお伽衆の一人であつたが、彼の心は卑屈にゆがみ、浮世の悲しさが泌《し》みついてゐた。信雄は秀吉の燃える憎悪の眼にふるへた。彼はとりわけ下手くそに演じた。秀吉の同情は切実だつた。彼は即座に六千石の墨附を与へて労をねぎらひ、傍へよびよせて父信長に愛された頃の思ひ出を語り、その取立ての厚恩、海よりも深く山よりも高い恩義を思へばそなたを辺地へ流したことは苛酷な仕打のやうであるが、今日のそなたの心掛
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