いにしても、大して悪いことはしていないし、できもしない、という彼の考えは、自己弁護ではなくて、彼が本当にそう思いこんでいると見ることができるであろう。
彼は佐文の処女を奪ったことで「再び彼女の父の顔を見る勇気もないほど」でありながら、同時に、途中から引返して「僕達の仲を説明して理解と協力をあおごうと思った」と語っている。彼は許しを乞うたり、結婚を懇願したり、するような考え方を持たないのである。一面に於ては対等であり、父ですらもない。単に「説明して理解と協力をあおごう」と思っているだけだ。若造のくせに生意気だというのは当らない。若年にして独立独歩の志操あってのことであり、この態度は排すべきものではない。一面「罪悪感にかられて」というのも、正直な表現であろうと思う。
通観して、彼は自ら悪党とも思っていないし、彼女の父という人間が、彼女の父である位置のほかには、対等以下のヒケメをもつ理由を知らないのである。だから、彼女の父が彼を浮薄な奴だと評したときいて、「若い男の心のプライドを傷けるに十分な四十男の世の見方でした」とガイタンしているのである。
しかし、最も注目すべき告白は、そのすぐ次の一行である。曰く、
「彼女の主観も入っていたかも知れません」
痛快なほど率直である。彼は愛人の心を常々疑っていたのである。つまり彼女に「浮薄な奴だ、いわゆるアプレだ」という風に見られていないかということを、疑心暗鬼でいたのである。しかし幸いにして「そうして僕達は互の心を探り合いましたが、二人の気持は変らないと云うのが話した後の結果でした」というように、彼のためにはメデタシ/\の結果が現れてくれたのである。
★
山際が手記の中で佐文との恋愛をのべている言葉と、佐文が二人の愛情を告白している言葉とは、面白い対照をなしている。
「左文[#「左文」に傍点]に逢ったのもトラブルが起きたのも偶然だったと思える様な気がします。しかし斯《こ》ういうことは変に小説めくのですが、確かに僕と彼女は何か宿命的な因縁と云おうか、始めて逢った時でも他人のような気がしなかったのです。そうして僕と彼女は幾何学的数(?)に発展していったのです」
彼は恋人佐文の字をまちがえている。つまり彼は「宿命的」な女に対して、手紙を書くようなことが一度もなかったに相違ない。彼がひどく神秘的なのに対して、佐文の告白はひどくリアルでハッキリしている。
「山際さんとは上京して数日くらいしてから階段や朝手紙を一階の宿直室まで受取りに行くときよく出会い知っていましたが、七月の終りごろだったか、ちょうどお休みの日、私が用事があって銀座に出ようと水道橋まで来ましたところ、後から追っかけて来られ、ちょッと話があると横道に呼ばれ、実は君と初めてあった時から君のことが忘れられない、君の気持をきかせてくれ、と迫られました。前々から山際さんは憎からず思っていましたのでつい「私もよ」と答えてしまい、その日は一しょに銀座へでて夜おそくまで遊びました」
それから二ヶ月交際ののち、
「今でも決して忘れませんが、去る十日の夜、私は山際さんから迫られて処女をささげました。このことは私は決して後悔してはおりません」
この二人の告白を対照すると、佐文は落着いているが、山際はヨタモノの柄になくとりみだしている。もっとも、事、恋愛に於てはヨタモノに限って却って神秘主義者になり、その感傷にひたりたがるムキがないでもない。しかし二ツの告白からうける感じは、佐文が大人であり、山際はそれにくらべて、よほどオッチョコチョイでもあるし無邪気でもある。
二人の告白が、たった一ヶ所ピッタリ一致している事がある。そしてそれがこの事件の中心的なものを暗示しているのである。
山際の手記。
「犯行のプランはそこで大体決まったのです。つまり今簡単に家出をするといっても、現実的な見方で見ると[#「現実的な見方で見ると」に傍点]、たとえ二人が共かせぎしても[#「たとえ二人が共かせぎしても」に傍点]、ちょッと生活の安定は保つ自信はなし[#「ちょッと生活の安定は保つ自信はなし」に傍点]、そうかと云って時は切迫している。若し僕が犯罪を犯すことになれば多くの人を裏切り、しかも始めから犯罪者は僕だということが判り切っていると、その時の僕の心の悶え、苦しみ、女と自分の立場の板ばさみ、理性的になればなるほど、心の中は苦しく現在彼女の苦境は所詮僕の罪であると考えがきまると、どうすればよいか判らなくなりました。所詮人間として僕が弱かったのです。愛情の生かし方に難点があったのです」
犯罪に至る原因の一つとして「現実的な見方で見ると、たとえ二人が共かせぎしても、ちょッと生活の安定は保つ自信はない」と言っているのが、今日的である。
たしかに今日は
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