物価に比してマトモな給料が安すぎる。しかし、一人分の給料でも食えないわけではない。配給物なら食えるのである。しかし、今日的な考えでは、単に食って生きて行くだけでは、「安定した生活」ではないのだ。山際の考えでは、共かせぎしても、生活の安定に自信がない、のである。
これを佐文の告白を見るとハッキリしたことが分ってくる。
「父は月に一定のお小遣しかくれず、使いすぎたからといって請求しても、全然とりあってくれませんでした。こうした父と少しでも離れたい気持、この二つの点から、私は就職口を探しました」
一定の小遣しかくれず、使いすぎて請求してもとりあってくれない父と離れて、自分のお金がもうけたかったという。この請求[#「請求」に傍点]という言い方が面白い。使いすぎた金を請求することの当然なのを信じているようである。
この態度は、恋人に対しても、同断であることを示してもいる。彼女は恋人や、情夫や、良人に、「請求」するであろう。そして請求に応じない恋人や情夫や良人は、その資格がないという結論に当然なる筈である。
佐文の告白をよむと、山際がその手記に於て「二人共かせぎでも生活の安定は信じられない」といっていることが、彼にとっては実に悲痛な現実であるということがよく分る。佐文を満足させるには共かせぎぐらいではダメなのである。それを、しかし、自分の罪と見ている山際は、やっぱり一貫して、ナンセンスで無邪気な男だろうと私は思う。
さて、私は結論として、冒頭の一句にかえろう。
「恋をするにもゲル」
人生に夢をいだき、ロマンチストとして、ウェルテルの如く恋をしようとしても、現実はせちがらく金銭万能で、恋をするにもゲルがなければダメ、というような、思いもよらないハメに追いやられてしまうという。
彼は佐文を宿命の女と見、かぎりない愛情をもっていつくしんでいるようだから、彼女を恋するにゲルが必要だということを呪っているわけではないだろう。自分の場合と切り放して世間一般の風潮として論じているつもりかも知れない。
しかし彼は気がつかなくとも、恋をするにゲルが必要だという性格は、佐文の負うている宿命のような気が私にはする。彼女は身持がかたく、山際に処女をささげただけであるというが、しかし、その問題とは別に、恋よりも金、恋よりも華美な生活、そういう思想を身をもって帯びているのが佐文のように思われるが、いかがなものか。ゲルのためにはイヤな四十男の言うこともきく、山際は佐文に於てではなく、女一般として、それを悲しく肯定しているようだが、佐文の宿命を感じているせいではないかと、私はなんとなく彼が哀れに思われ、又、おかしくて仕様がないような気持にもなるのである。そして恋よりもゲルという佐文の性格も、悪党の性格ではなく、女の悲しく愛すべき性格ではないかと私は思う。
底本:「坂口安吾全集 09」筑摩書房
1998(平成10)年10月20日初版第1刷発行
底本の親本:「新潮 第四七巻第一一号」
1950(昭和25)年11月1日発行
初出:「新潮 第四七巻第一一号」
1950(昭和25)年11月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:花田泰治郎
2006年3月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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