ぬ到達点であった。むしろ大人の世界はハッキリそうであるが、自分らは事の始めに於ては人生に夢をえがいて出発している。しかし、いかにロマンチックであろうとしても時代に抗することは儚い努力で、恋をするにもゲル、という大人の思想に負けてしまう、という意味に解する方が正しいようである。新聞記者は文章の判読を誤ったのである。彼は甚しく平凡なことを言っているのである。
しかし、若者が夢みる人生と現実の社会には距《へだた》りとムジュンが多すぎるので、厭世的になるのもムリではないと言っているが、彼の意見によれば「夢と人生のムジュンによって」厭世的になるのではなくて、そのムジュンについて「少し考え過ぎると」厭世的になるのもムリがない、というのである。少し考え過ぎなければ決して厭世的にはならないのである。まことに明快であるし、物の順序としては、まさしくその通り、夢と人生にいくら距りがあったって、それについて考えなければコンリンザイ厭世的になるはずはないのである。
彼は自分の生い立ちを語って、
「僕は他人から見れば[#「他人から見れば」に傍点]平々凡々たる家庭に十有余年を過して来たのですが、それは僕にとって幻滅的で少くとも人生の幸福という主題にだんだん懐疑的になってきました。それで努めて外では反比例的に明るく人と交るという習性になってきました。そこには非常に人間的な努力と苦悶がありました。併し僕は人が良く云うニヒリストとかデカダンスにかぶれたことはないのですが、反面とても淋しかったと云う事実は否めない事でした。もちろんぼくも同年輩の男たちと同様ガールフレンドを持ち、リーベとよべる仲になったこともあります[#「リーベとよべる仲になったこともあります」に傍点]。しかしぼくは内省して見ると考える事は大人びた事を考えても所せん体形(系)づけられた行動は矢張り子供の域を脱し得なかったのです」(傍点筆者)
平々凡々たる家庭に育った、ということを述べるに、特に「他人から見れば」とことわってあるのが注目に価する。この手記全体からもうかがえるが、彼は、自分の主観と、他人が見た場合とのケジメが大そうハッキリしており、彼の考えばいつも一応そこにこだわるのである。つまり彼の人生では、人が自分をどう見るか、ということ、人にどう見られているか、ということが、いつも主たる関心事であったのである。
このことは、彼が後日、愛人佐文の父と顔を合せたときの記述には、次のようになって表れてくる。
「そしてある日、思いだすのでさえ不潔感でぞっとする様な破廉恥な事が起きたのです。それも偶然でした。僕と彼女が同室に居った時彼女の父が帰って来たのです。今考えれば僕はきっと取りのぼせて冷静さを失って居たのでしょう。彼女の父の顔も見ず外へ飛び出して行ったのです。前々から彼女の父の気性も聞いていましたし、そんなのが影響したのか、僕は途中でよほど引返して僕達の仲を説明し理解と協力をあおごうと[#「説明し理解と協力をあおごうと」に傍点]思いましたが、余りにも自分のしたことの罪悪感にかられ[#「自分のしたことの罪悪感にかられ」に傍点]、二度と彼女の父の顔を見る勇気が出なかったのです。(中略)彼女の父の出方が僕は一番心配でした。そうしてその夜彼女と逢った時は彼女の口から一番怖れていることが表れました。と云うのは彼女の父が世の中の男と云うものは云々で正に浮薄の徒と見られているらしい僕の立場が判りました。それは若い男の心のプライドを傷けるには十分な四十男の世の見方でした。多少彼女の主観も入って居たかも知れません[#「多少彼女の主観も入って居たかも知れません」に傍点]。そうして僕達は互の心を探り合いました。二人の気持は変らないと云うのが話した後の結果でした」
彼は愛人の父を見て逃げだしたのを「思いだすさえ不潔感でぞッとするような破廉恥なことだ」と語っている。しかし「自分のしたことの罪悪感にかられ」彼女の父の顔を再び見る勇気がなかった。罪悪感とは彼女の処女を奪ったことだろうと思う。
彼は前節に「ぼくも同年輩の男たちと同様ガールフレンドを持ち、リーベと呼べる仲になったこともあります」と、明確にガールフレンドとリーベを区別している。そしてリーベになったというのは肉体的な交渉をもつに至ったガールフレンドという意味であるらしい。
しかし、それにつづいて「考えは大人びていても所詮行動は子供の域を脱し得なかった」と告白しているのは、男女関係についてマセた考えをもっていたが、所詮大したことはできなかった、リーベは何人もいたわけではなく、人が見るほど悪いことはしていない、という自己弁護の意味であろうと思う。しかし、直接自己弁護の言い方で語られていないだけ、この表現には実感がある。つまり、彼、自ら広言するほど身持ちは良くな
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