変化の甚しきものは川の流れであることを素朴に表現しているのである。ジュウタン・バクゲキも鉄砲すらもなかった古代に於て、川の流れが、彼らの生命である土地に最も大きな変化を与える怪物であったことは、ジュウタン・バクゲキを数度にわたって経験した小生に於てすらも、文句なしにこれを認めることができる。早川口に於て、利根川に於て胆を冷やし、下っては書物で黄河を読んで舌を巻いたからである。
 しかしながら、飛鳥川というものは、川の幅が三間ぐらいしかないのである。山から流れてくるけれども、耳成山だの天ノ香具山だのウネビ山だのという箱庭程度の小づくりの山からチョロ/\と流れてきて、古《いにしえ》の帝都の盆地を走っているにすぎない。
 私が小田原で胆を冷やした早川は、谷底を九十九にまがった分を勘定しても、全長五里か七里ぐらいのものだろう。けれども、これは、千米の蘆ノ湖からたった五里か七里ぐらいで海へ突ッこんでしまうのだから、大雨至るや、ジュウタン・バクゲキをくらった男が改めてドギモをぬかれるほどの大きなことをやらかすのである。
 飛鳥川は玉川上水と同じぐらいの小川にすぎない。
 大黄河にもみまくられて育っ
前へ 次へ
全21ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング