たシナの歴史や文化にくらべれば、飛鳥川に有為転変の感懐を託していた日本文化の源流というものは、温室育ちも極端であり、あまりにも小さすぎて、いじらしく、悲しく、おかしく、異様ですらある。
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金閣寺に放火した犯人が「美に対する嫉妬」と言ったり、「見物にくる人間への反感」と言ったという新聞記事の報道は、犯人がそのとき、そう言ったという事実を伝えているかも知れないが、犯人の本当の心がそれにつくされていると考えるのは速断にすぎるであろう。犯人というものが本当の心を言わないという事ではなく、人間というものが、真実を語ろうと努力している時ですらも、表現が思うようにできなくて、頭の中にあることと相当ヒラキがあるような、自分にとっても甚だ空疎でヘタな説明しかできなかったりしがちなものである。犯人が罪を犯したか否か、というような返答の場合ではない。特に、観念的な事柄の表現に於てである。そして、私のように、それを表現することが商売の人間ですらも、自分の観念を思うように表現するには時間も技術も必要であり、うッかりすれば、人の言葉の借り物となり、自身考えつつあることとは相当ヒラキのあ
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